末日性徒ベルボー 第一章 性と人格の乖離 -2- 親と躰に捨てられた心


 水流の家系は女系だった。父親は婿養子だった。母は一人娘であり、女子大に入ってからさえ家庭教師に就いていたが、大学四年の初冬に父が胃癌で亡くなり、卒業と同時にその家庭教師だった、大学院の四年の院生と結婚したので、社会で働いたことは一度もない。そのため、まるっきりの世間知らずのお嬢様であり、若奥様でもあった。
 そしてじきに長男が生まれ、それから数年後に水流が生まれ、その二年後に女の子が生まれた。その頃には婿さんは、助教授になっていた。しかし、酒癖が悪かったため、夫婦関係は円満ではなかった。まるっきりの世間知らずだった母は、大正生まれの祖母の古い社会通念に毒されていたため、長男だけ溺愛した。
 父親は父親で、自分が稼いだお金は全部自分で使っていいというのが、婿養子の常識であり、子供達の養育費や家計費一切は家で賄うものだと言って、一切お金を家に入れないという有り様で、貯金することもなかった。そんなわけで、夫婦関係はこじれる一方だった。水流の両性具有の躰についても、互いに相手の家系の責任にして、水流の未来について思いやる気配すら見せなかった。
 父は酒乱の度を昂進して行き、水流が小学生の頃は夫婦喧嘩が絶えず、父が、「俺はこんな内出て行く」、と言って支度を始めると、母は水流に、「お前も一緒に家を出てお行き」と言う程、水流をも忌み嫌っていた。それは水流の面立ちが旦那に似ていたことと、両性具有の躰のため、気の小さな彼女には、世間体が悪くて何とかして隠さないとと思っていたので、旦那もろとも放逐してしまうべき存在に思えたためである。しかし、父はなかなか家を出ないでいた。
 その度に水流は泣き崩れた。すると母は水流の頬に平手打ちを喰らわせ、「泣くんじゃない、この出来損ないめが」と、声を荒らげて罵倒するのが常だった。そういう常軌を逸した反母性性の持ち主だった。旦那に腕力で敵わないうっぷんを、水流を相手に晴らしていたのだ。そして近所の人達には、水流の躰の異常の責任は旦那にあるので、父子揃えて追い出すつもりだと公言していた。
 そういう母親を父は冷たく見ていたが、水流を庇ったり慰めたりすることもなかった。まるっきり父性性を持っていなかった。水流は、そういう両親の子であることを呪った。そして自分の両性性をも呪った。「親なぞ糞食らえ!」と思うようになったのは当然の成り行きだった。
 そして遂に、水流が小学校の五年の秋に、両親がいつものように夫婦喧嘩を始めると、水流は身支度して家を一人で飛び出してしまった。清々した気分を初めて味わった。これこそ自分の幸せへの道だと覚醒した。それ程までに水流は、家で窮屈で辛い、何の楽しみも知らない子供だった。一言も口を利かないという有り様だった。ほぼ完璧に情緒を失っていた。自閉症に罹る寸前に、吾というものがその能力の一旦を働かせたようだった。
 そう、水流の吾というものが封殺されずに生き延びていたのだ。勿論、そのことを水流が知る由もなかったが、後から思うと、その時に、吾というものに救われたのだと思えた。或いは、その時までに吾というものが小さな蕾に成長していたのだろうとも思った。
 水流は東京に行こうと思い、函館駅まで歩いて行った。東京までの切符を買おうとしているところを、係員に保護された。水流は泣きじゃくって何も言わなかった。JRの駅長が、東京のどこに行くのかと尋ねたが、どこに行く当てもないと知り、家出したものと見破った。水流は唯、悪夢の巣窟から逃げ出したい一心で、テレビにしょっちゅう出てくる東京という町を思っただけで、東京のどこへとまでは思いも及ばぬことだった。
 駅長は、水流の身分証明書とでも言うべき、小学校の生徒証を見て、家に電話した。飛んできたのは母ではなく父だった。水流は家に連れ戻された。母は、水流の頭を力いっぱい叩いた。水流は殴り倒され、意識を失ったが、数分で気付いた。
 すると、父が母を同じ目に合わせ、「俺は明日、この子を連れてこの家を出て行く」と宣言し、徹夜で荷物を整理した。そして本当に次の日の夕方、父は水流を連れて、東京に向かって出発した。家族の誰にも見送られず、列車に乗った。父は大学に一応辞職届けを出していたが、あまりに急なことだったので、それが受理されるまでに二週間かかった。東京の郊外である三鷹のアパートにじきに入居し、水流は近くの小学校に転入した。
 しかし、転入した学校でも、水流の心は閉じたままだった。クラスメイトの誰とも口を利かなかったし、友達を作ろうともしなかった。唯、わけもなく涙を流す男子生徒だった。そう、両性具有の男子ということになっていた。涙を流すわけを、担任の先生は尋ねたが、何も答えられなかった。それだけが彼の情緒表現だということには、遂に気付かれずじまいだった。
 悲しみの過去しか持っていなかったが、それが悲しみであると、本人が気付いたのも中学に入ってからだった。それまで、わけもなく涙が流れる理由に、彼は気が付かないでいた。何か感じると涙を流すという有り様だった。
 家族とは何て嫌なものだろうかと、水流は心底思っていた。その、最も厭な存在であり、彼に家とは地獄であると認識させた、母と離れることが出来たのはまだしも幸せだった。しかしどうして、自分が産んだ子を、ああも冷酷無比に憎むことが出来るのだろうかと、彼は母の心を訝しんだ。しかし、母の無知全般を理解し得る歳ではなかった。
 女とはそういうものなのかと思ってみたが、父母会に出てくる母親達は皆、自分の子供に優しくし、深く思いやっている姿を見て、おかしいのはやはり自分の母親だけらしいと思わないではいられず、母に対する憎悪の念が沸き起こり、それによっても涙が出るのだった。それは自分にとっては不当なる不幸だと思われた。
 そして、水流が中学二年に進級した初夏、祖母が亡くなり、母がネフローゼで入院したという知らせが舞い込み、ついては、兄と妹を引き取ってくれと、親戚から依頼を受けたが、その家族とは離婚が成立していたので、父は断った。水流も、あんな家族厭だと思っていたので、清々した。母は神経の調子が狂っていたのだということに満足した。
 確かにあの女は人間ではなかったと、合点がいった。母は神経を犯されて死んで逝くのだということに、水流は、誰に