両性具有文学
・井野博美・

    宇宙の花粉  2


 ナンシーには、一人の兄と父と母がいて、兄とは10歳も年が離れている。その兄は、とある電子機器メーカーに就職し、結婚してからアメリカのカリフォルニアのシリコンバレーにある研究所に派遣されて、赴任し、男の子が生まれたが、近くの小学校に入学したので、一家揃って向こうで生活している。それで、ナンシーと両親の三人で、二階建てのモルタル造りの家に住んでいる。ナンシーは二階の二部屋を使っている。
 一部屋は寝室兼書斎で、もう一つの部屋は、オーディオ装置とパソコンが置いてあり、良く音楽を聞きながら、インターネットで音楽情報をキャッチしている。父は、音大通りと呼ばれる商店街に、CDショップとオーディオ相談室を開いている。ナンシーと父が交代で店番をし、二人揃っている時は、一人は相談室にいて、客の注文があれば父とナンシーが作ったオーディオ装置で、客の好みのジャンルの音楽を聞いて貰っている。
 そんなわけで、ナンシーは、音楽にはかなり詳しい。弾き手や歌い手の特徴とか上手い下手まで判る。唯困ることは、最近は早いテンポで、音を出す機器の仕組みやメカの構造が大きく変わるので、それに合わせてレコード盤やテープ、CD盤やMD、LDなど、最近ではCDR−W用の生の盤など、多種多様なソフトを置いておかなければならないことで、時代に乗り遅れないよう、苦労させられることだ。
 父もナンシーも研究熱心で、それらの変化にすぐに対応出来るようにしている。それらを再生する機械の見本も置いてあり、使い方を客に教えたり、聞かせたりもする。客も、そういうことまで教えてくれるので、音大の学生や先生、町の人などから、重宝がられ、頼りにされることに満足感を覚えている。研究していないと、すぐに移り変わる新しい機器やソフトについて、お客の質問やニーズ に応えられないので、秋葉原の電気街にはしばしば勉強のために赴いている。
 店に試聴用に置いてある機器で、古くなったものは、お得意様に格安の値段で譲ったりする。秋葉原に行って、いろいろ試聴して、いいと思える物の中の中級品を注文して取り揃えている。
 何分、東京の郊外なので、機器の修理を受け付ける店も他になく、時々顧客が頼みに来る。メーカーの修理部門に頼むより安上がりなので、有り難がられている。父もナンシーも電気技師の一級の免許を持っている。新しく作ったり、修理するのは娯楽の一つになっているので、修理した後の方が音が良いと言われることも多く、喜びと励みになっている。 何故そういう父が、オーディオ装置や他の電気製品を売る電機屋にならなかったのかというと、それらでは芸術的価値意識を持てないと判断したためである。芸術という範疇の商売として、レコードショップをまず開き、機器の変化が多様化するに連れ、そういった機器の扱い方やソフトの種類を、客のニーズに合わせて順次取り揃えるようになり、今のような店になるに到っている。
 そんな中で育ったナンシーは、オーディオ機器の音の善し悪しも判るようになっている。店にはレコードに関する専門雑誌を置いてあるのは勿論、機器についての雑誌も置くようになった。世界中の音楽情報に詳しくなければ固定客が着かないので、二人はいろいろな文献に目を通し、客の質問や相談に応えている。
 父は稼業を長男に継いで欲しいと思っていたが、兄はそれを断り、企業に務めてコンピューターの研究を続けたいと言っている。兄は小さい時から歌謡曲に馴染まなかったし、かなりの音痴だということもあって、歌うのも嫌いだし、聞くのも好きでないので、音楽にほとんど興味を覚えなかったためでもある。
 それでナンシーが、大学の工学部卒なのだが、店を手伝うことになったのである。音楽が好きだったので、オーディオ工学を専攻したのだ。それが役に立っている。趣味にも合っているし、窮屈な会社務めをしなくて済むので、ストレスが溜まることもなく、結構忙しいけど、この仕事に充足感を覚えている。ほとんどいない女性技術者だということも、珍しい女として見られることに快感を覚えている。それに好きな音楽を一日中聞いていられるなど、彼女を満足させるに十分である。
 駅から十数分歩くと音楽学校があり、そこに続く道と、もう一つの住宅街に続く道に沿って商店街がある。ナンシーの住んでいる家は、そのもう一つの住宅街にあるのだが、店は音楽学校に続く方の商店街に出している。竹林の中の藁葺き屋根の家も、ナンシーの家のある方の住宅街の端にある。
 ナンシーの店のある商店街には、学生向けのレストランやブティック、喫茶店や文房具屋などの他、一般家庭の日用品を売るマーケットやスーパーやコンビニもある。それらに混じってナンシーの店がある。お昼休みに結構学生とか近くの商店に務めている事務員などが店に来るので、ナンシーが昼食を摂るのは1時半頃からだ。近くのレストランや喫茶店でセットになっているものを注文する。父はお昼頃家に帰ってビールを飲んで、軽い食事を母と一緒に食べてから店に戻って来て、ナンシーと交代する。
 父は真空管党で、ナンシーは半導体派だ。父は真空管でも、シングル出力にこだわっている。歪みが素直だからということと、音が混濁しないからだという持論を持っている。半導体ではそうはいかないだろうと、ナンシーに自慢している。半導体の音で育ったナンシーには、半導体の音の方が良く聞こえるのだが、好みは様々で、お客さんの耳にもいろいろ違う風に聞こえるようだ。
 ちょっと前までは、半導体アンプの歪み波形が三次歪みを中心とする奇数次歪みだったため、ごく僅かでも耳に付き易く、きつい刺激的な音だと一般的に言われていたが、最近では、二次歪みを中心とする偶数次歪みになり、耳に付きにくく、それもほんの僅かしか出ないので、極めてナチュラルな肌触りの音がするようになってきた。その上、周波数特性も一メガヘルツまで真っ直ぐ伸びているので、諸特性では真空管アンプを遙かに凌いでいる。それでも父の耳には、真空管の方が音がいいと感じるという。
 こういう好みの問題は諸特性のデータを超えているのだが、それでも、作ったアンプのデータを執拗に父は取る。そして結論はいつも、現在計られているデータ以外に何かがあるんだということだった。それを確信させるのが、最高の測定器である耳なんだという。耳には個人差があるから、機械的データに対して一律な反応を示さないのは当然のことで、様々に受け取られるが、何か未解明の共通する要素がある筈だという。それは、耳についての生理学的研究が、近い将来証明してくれるだろうともいう。
 今までは、音を出す方の特性を計って、アンプの善し悪しを科学者達は論じてきたが、これからは、音を感受する耳や脳の特性を云々する必要がある時代であると、父は尚も持論を展開する。個人差はあるが、それはアンプの違いにも当て嵌まることである。しかし、聞く方の個人差は機械でない個性なのだから、絶対的な人間的特性であり、それに合致するアンプこそ、最良のものなのだと父は結論する。
 その人間の耳や脳に、どのような多種の、音に反応するデータがあるかどうか、これから研究が進むことだろうと、父は推論する。百万円を越すようなアンプもあるが、値段の高さ、いや、好意的に言えば高度さによっては、人間の耳の自然な反応を買収することは出来ないのだと結論する。もっともな意見であるとナンシーも思うが、父とは音に対して違う好みを持っている。それも父流に解釈すれば、人間の個性的耳の特性なのだから、最高の特性なのだろう。
 こういう聴覚の判断は、音響機器メーカーが発表する諸特性や、うたい文句に流されがちな現代的水準に埋没している多くの現代人には、思いもよらぬ判定基準なのだろうが、次々と新製品を市場に送り出すのは、人間の聴覚を満たすという人間的自然の欲求によるものではなく、パーツがどんどん変わるので、それに合わせて次々と違う製品を販売しているに過ぎないということを知っている人はごく僅かである。それは企業の市場開拓という、死活に関する経済欲に起因するのである。
 それは恰も、インスタント食品が、全然栄養分が無くても、味がちょっと良ければ人々は買って食べるということに似ている。味を構成しているのが発癌性物質である食品添加物であると知れ渡っていてもである。そういうものは安さを競っているものが多い。高い物も魅力的だが、安い物も魅力なのが、人間の素性なのである。あまりに高価なものを買って損をするか、あまりに安い物を食べて死ぬか、良く考えろと言いたくなる。人間の死がそんなに安くもたらされていいものだろうか。あまりに高くつく死も問題だが。
 芸術というものは、そういう経済政策に左右されるものではないと、父は更に理論を展開する。お金を掴むために市場を開拓し、製品を身代わりに提供するのではなく、心の豊かさを生み出すために、作品に魂を吹き込むのだと。それが自己満足だというのなら、企業がやっていることは、自己満足の抹殺ではないかと言うべきなのだと。それは取りも直さず、人間性の抹殺でもある。
 であるから、企業に務めるということは、自己放棄であり、悪魔への道である。それは何とか阻止されねばならないと。そういう企業というものから製品を仕入れなければならないのは癪の種だが、企業倫理に組み込まれないよう付き合うのが、現代的良心というものだと、父は割り切って、現代に生きている。
 そういうわけで父は、耳で聞いてみていいと解る音のアンプ造りに熱を上げている。気に入らない作品はいろいろ改良して、良くなるまで商品にはしない。そういう矜持を持って、日々過ごしている。ナンシーは、そういう父の生活信条を立派だと思って尊敬し、真似ている。生活は決して豊かではないのだが、心は豊かでいたいという理想を持っている。人間性を大事にし、決して理想に背を向けないよう心がけて仕事している。理想を追求するというのは、一種芸術性と呼べることだと考えている。
 そういう父は、自分が造るアンプは芸術と呼べる域に達しなければならないと考え、各種測定器やスピーカーを揃え、特性も音もいい物以外は完成品にしない。じっくり調整して、気に入らないところがなくなるまで手を入れる。それを徹底している。物事は徹底的でなければならないということも、父の口癖だ。そういうことが出来る仕事であることを、父は喜んでいると同時に誇りを持っている。そういう仕事を続けていけるよう、懸命になってもいる。
 ナンシーが半導体アンプばかし造るのには理由がある。それは半導体アンプでは、トランスが電源トランス一つで済むため、女の子の標準的腕力しかない彼女でも、何とか持ち運び出来る重さだという大きな要因のためである。真空管アンプはその点、電源トランスの他に、チョークトランス、アウトプットトランスと、合わせて四個もの重いトランスが必要なので、彼女の力では動かすことが出来ないため、造りようがないということが大きな理由である。
 父は反対に、重量が軽いというだけで、半導体アンプの音は、いくら大出力を出せても軽っぽいという。真空管アンプは重量の割に小出力だが、重量感のある音を出すと言って譲らない。しかし、低音に関しては、半導体アンプの方が、音が締まっていると認める。それでも、締まっているからいい音であるとは言えないがと、いつもケチをつけるのが常だった。低い音までカチッと出るに過ぎないと言って笑う。
 ナンシーも真空管アンプの音と、半導体アンプの音質の差は認めるが、それは多分に空中での音の響き方が、真空管アンプは風のようであり、半導体アンプの音は肌に貼り付くという違いのようだと感じている。どちらが好ましいかは人によって違って当然だと考えている。そういう音に対する大雑把な違いは確認出来るが、空間派と肌触り派の違いが何故生じるのかということは、現代の生理学でも解明されていない。
 店の相談室には、JBLの4344という大型のフォーウェイの本格的スピーカーボックスを置いてあり、それでお客さんの好みのジャンルのデモ用のソースで聞かせてあげるが、これぐらい高級なスピーカーで聞くと、どのようなソースもいい音楽に聞こえてしまい、お客さんはつい買ってしまうという具合だ。勿論アンプも合格品を使うのだが。真空管アンプの音も半導体アンプの音も、それなりに素晴らしい音に響くためだ。
 今では試聴出来る店はほとんどないので、この店は有り難がられている。商品の全てを試聴出来るわけではないのだが、そのジャンルの代表的なものを一つずつ選んで、デモ用にしている。聞きたい曲が一つは入っているようで、客は納得するようだ。試聴させて貰うと、どれか一枚買わないと悪いという気にもなるようだ。買わなくても厭な顔はせず、「有り難うございました」と言う。
 この店のアンプに興味のある客は、アンプとソースのジャンルを指定して聞いて行く。そうして売れるアンプもある。スピーカーシステムも手がけており、JBLの4344の中低音用を受け持っている、2124という二十五センチのスピーカーをウーファーとして用い、それに2404というホーン型トゥイーターを乗せたツーウェイのバスレフ型スピーカーボックスも好評だ。これは、家庭用として大きさも手頃で、それ程重くもないというメリットがあり、音もいいので、この店の売れ筋の一つになっている。
 測定器は、各種波形を発振するオーディオジェネレーターに、波形を観測する二現象オシロスコープ、それに現れる波形を写真に撮る装置や、歪率計などを揃えている。それらが整然とディスプレイされていいる。たまに客が、買いたいと思うアンプを測定機にかけて見てみたいと望むこともあり、見せてあげると感心することもある。
 測定する波形は、三角波や方形波などを、周波数別に計るのだが、それらは、過渡応答特性に密接に関係しており、アンプを通しても、波形が崩れないものが音がいいのだと、一般的に言われているということなども説明してあげる。ナンシーの造るアンプは、百キロヘルツまで波形が崩れないという凄さだ。
 客の中には、自分が使っているアンプの特性を知りたくて、この店に持ち込み、計って貰って安心したり、がっかりすることもある。それで、この店のオリジナルのアンプを買ってくれる人もいる。計測器を持っていると、そういうメリットもある。自分で造ったアンプを測定して貰いに来る客もいる。造る道具や知識を持っていても、測定器まで備えているマニアはあまりいない。そういう客には、こういう場合はここに位相補償を入れた方がいいとか、このパーツは別のに変えた方がいいなど、丁寧に忠告してあげる。
 若い男の中には、ナンシーと付き合いたくて、自分もアンプを造ってみたいけど、どういうのから始めたらいいんでしょうねえ? などと訊いて、ナンシーの勧めるアンプを造ってみたりして、その特性を計って貰いに来て、いろいろと教えて貰い、何とかお付き合いの糸口にしようとする人物もいるが、いざデートの話になると、ナンシーは、ワタシはTG(トランス ジェンダー)のFTM(フィーメイル トゥー メイル)[女から男へ]ですからと言って、男の人とはお友達にはなりますけど、恋愛的デートは女の子とする主義なのでと、逃げてしまう。





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