宇宙の花粉 7
その夜ナンシーに、姉妹の姉の波乃から電話があり、今日、音大の庭で快挙を成し遂げたんですってね、妹の静之から聞きましたというので、ナンシーは、ああいうのを快挙と言うのかとびっくりしてしまった。ナンシーには、やはりどう理屈を付けても、みっともないことをしたと思えるからだった。
波乃は、明日の昼間、何とか都合を付けて、お店を休んで、自分達と付き合ってくれないものかと申し込んで来た。新宿のカラオケに三人で行きたいのでと言う。LDの研究に行きたいからとでも父に言ってと。静之の病院の帰りに一緒にとのことだ。大体十一時には病院を出られるから、お昼前から二三時間と。LDの研究と言えば父も許可してくれるだろうと、ナンシーも思った。父に話すと、夕方までに戻って来るならいいと言ってくれた。
次の日、波乃はワンピース姿で、ナンシーの店に寄り、ナンシーさんをお借りしますと父に声を掛けて、二人で電車の駅に向かった。ナンシーもワンピース姿だった。新宿の西口に出て、小田急線の一階の改札口で静之と落ち合い、三人はちょっと歩いてカラオケボックスに入った。中は薄暗く、若者で賑わっていた。
ボックスは互いに仕切られていて、その中にいると、そのグループだけになれるので、落ち着ける雰囲気だった。波乃は自分のバンドがバックで演奏している歌謡曲を二曲唄った。歌も上手かった。ナンシーも一曲唄い、静之も唄ったが、声はやはりグンと低いアルトだった。姉妹は音大出なので、音楽に合わせて唄うこつを知っているので、ナンシーよりか上手だった。
それからが短時間だったが、大変だった。波乃は、レズビアンごっこをちょっとしましょう、と言い、ナンシーのミニのドレスを捲り、オッパイをさすったり、乳首を嘗めて揉んだり、クリトリスを刺激し、性的にナンシーをエクスタシーの状態にしてしまうと、続けて、妹の静之にもそうして、喘がせると、ナンシーのショーツを脱がせ、静之のもそうし、座っている静之の腰にナンシーを跨らせた。互いの興奮している乳房が擦れ合い、躰が快感に制動されてしまった。
そして、アレッと思うと、ナンシーの膣の入り口に何かが浅く入ったように感じると、ワギナの入り口で膨張したり収縮したりし、じきに熱いものが膣の奥の方まで迸り込むのを感じた。これ、どういうことと快感に痺れる躰とオツムの中で異常を感じたが、すぐに静之はナンシーを立たせ、自分のドレスの裾で自分の股間を覆ってしまった。
ナンシーのワギナからかすかに白い液体が滴ってきて、内腿を伝った。ナンシーはそれをティッシューで拭い、ワギナの入り口も拭った。それは静之とナンシーのラヴジュースかしらと思った。静之は、ラヴジュースを射出出来るのかしらと不思議に思い、さっと静之のスカートを捲った。すると、何と、クリトリスが亀頭なのだ。静之は慌ててそれを手で隠し、後ろを向いてティッシューで拭って、ショーツとパンストを穿いた。ナンシーも身繕いをした。店内は薄暗く、あちこちのボックスで男女が同じようなことをしていた。
ナンシーはやっと自分のFTMを実践出来そうな人物と巡り会えたという感慨に耽り、静之を肉体的にも好きになってしまった。それまでは、背の高いスラッとした美人として、又、ピアノを弾ける音楽家として芸術を自らこなせる人物として、交際してみたいと思っていたが、その人がこういう肉体の持ち主だと知り、彼女えの思いが恋人を慕う気持ちに変貌したのを実感した。
三人は店を出た。「オムツライスでも食べて帰りましょう」と、波乃が言うので、「それなあに」とナンシーが尋ねると、「オムライスのことよ」と、静之が応えたので、「オムツカレーでもいいわよ」と、ナンシーが上の空で冗談の輪を広げ、姉妹は満足して笑ってしまった。
波乃が良く行くという喫茶店に入り、座ると、「オムツライスセットを三人分」と、波乃が注文した。「ハイ、いつものですね」と、ウェイトレスがにこやかに返辞した。店のメニューを見ると、オムライスと、オムカレーというのもあった。オムというのは卵のことである。みんな、トイレで手をきれいに洗って、料理を待った。待っている間、ナンシーは、静之はインターセックス(半陰陽)ではないのかと思ったが、口には出さなかった。 彼女の肉体が例えインターセックスだとしても、ナンシーの彼女に対する友情は変わらない。そんなことで人間を差別すべきではないし、偏見を持つべきでもない。対等な人間同士として付き合う気持ちに変わりはない。その人間愛を実践すべき相手が静之なのだと思った。憐憫の情ではない愛を感じてしまった。
「お待ちどう様、あなた方用の特別メニューでございます」とウェイトレスが言って、一人分ずつ、本物のオムツの中からオムライスの皿を出して、みんなの前に並べた。
「随分気の利いたお店ですのね」
と、ナンシーは、鼻を摘んで匂いをシャットアウトするような身振りをして言ったので、姉妹は喜んでしまい、きゃっきゃと笑った。
「赤ちゃんのことを思うと、格別美味しいね。」
と、波乃は笑みを満面に湛えて言うと、スプーンで食べ始めた。
「赤ちゃんには食べさせられないわね。こういう風に出て来たら喜ぶだろうけど。」
ナンシーがいとも残念そうにそう言うと、
「赤ちゃんにはオムツミルクと注文するのよ。」
波乃は今度は神妙そうにそう言った。珈琲を飲んで、三人は店を出、姉はこれからスタジオで録音だからと言って、二人と別れた。二人は中央線に乗った。4時半に二人は店に戻り、いつもの業務に就いた。そこに丁度、父の真空管アンプを買いたいという中年の客が来て、父の機嫌も良くなった。
しかし、静之は今にも失神しそうな雰囲気を醸し出して、茫洋と突っ立っていたので、ナンシーが、「お薬を飲んだ方がいいんじゃない?」と声を掛けると、静之はロボットのようにこくりと頷き、ハンドバックから今日貰ってきた安定剤を一袋出し、相談室にあるポットのお湯をコップに入れて来て、飲んだ。相談室では、父が自分で造ったアンプを数台、とっ換えひっ換え、スピーカーに繋いで、客に聞かせていた。どれもいいので、客は最後に、父に決めて欲しいと頼み、決着が着いたようだった。
父の造る真空管アンプも結構売れるが、売れた日は父の機嫌は至極いいのが常だ。にこにこ喜んでいる。まだ自分の耳は確かで、測定器などに負けはしないと言う。現代文明には、人間性の落とし穴があるんだとも言う。
閉店である七時が近づき、今日も大変なことがあったなと、ふと静之を見やると、作曲コーナーの後ろの壁に背中を保たせて、首をガックリ落とし、今にも崩れ折れそうだと思った刹那、背中を壁に滑らせて、本当に崩れ込むように床に尻餅を着き、そのまま横倒しに倒れて、意識を失ってしまった。ナンシーが慌てて走り寄ると、静之は失神していた。パパと相談して救急車を呼び、ナンシーが付き添って、近くの医院に担ぎ込んだ。
救急患者受付窓口で用紙に名前や住所を書いているうちに、静之は目を醒まして、辺りをキョトキョト見ていた。ナンシーはPHSで父に、病院の名前と場所を伝えた。担当医がやって来て、極度の疲労だろうとの診断で、ブドウ糖の注射を打たれて、三十分程ベッドで休み、医師がもう大丈夫でしょうと言うので、ナンシーが付き添って出口に向かうと、父が、静之の母を連れて玄関から入ってくるところだった。
母はとても心配していたが、娘が「もう大丈夫よ、昨夜眠れなかったもので、ちょっとくたびれただけ」と、元気そうに言ったので、何とか安心し、ナンシーの父が運転するワゴンに一緒に乗って、家まで送ってあげた。静之と母は、父に有り難うございましたと礼を言って、玄関を入って行った。
ナンシーは家に帰ると考えた。静之にとって今日の性行為は、全精力を使い果たす程の重労働だったのだろうと。とても男役は務まらないなと感じた。父と相談し、静之に明日いっぱいお店を休むよう勧めることになり、ナンシーが電話で本人にそう伝えた。静之は、今夜はメジャートランキライザーをちゃんと飲んで寝るから、大丈夫よと言ったけど、大事を取ってと、念を押した。
静之の神経症は、強力精神安定剤を服用しなければ押さえられないものなのかと、ナンシーは改めてびっくりした。それを常用しているとあっては、性行為には精神的にも大きな負担が掛かることは、自ずと解るというものだと思った。何か無理して生きているのだろうか? と、ナンシーは思ったが、まだ付き合いだして日が浅いので、彼女の置かれた立場や状況や、彼女の躰具合を理解出来るわけでもない。ナンシーの母性本能をくすぐる相手のようだとは解る。
静之には悩み事があるのだわと、ナンシーは思った。それが彼女の半陰陽性から来る精神的負担に起因するものか、神経の失調によるものなのか、医学的見識を欠いているナンシーには解らないが、そのような類のものから来る心の悩みを持っているのだろうとしか、想像出来なかった。
今日の彼女の、ナンシーとの性行為に費やした、静之の、気も動転せんばかりの死に物狂いの奮闘と、自分の隠さねばならない秘部を使うということに煩悶する心の葛藤や、自分の性を披露することになる懼れ、今まで真綿でくるんで隠して来た自分の悩みの最大の部分が一挙に炸裂したことによる、内的精神の錯乱を、外面的に押し隠し通せなかった今日の夕刻の失神の悲しみを、ナンシーが察することは出来なかった。想像することも出来ない悩みを、静之は抱えているのだ。
その静之の蒼き悩みを察知していたのは、姉の波乃だけだったかも知れない。この性宇宙の迷い子とでも呼ぶべき静之の世界を、何とか現実界で溶解させてやりたいと、ごく短い時間の中に集約して、手早くリードして性行為を成し遂げさせてしまったのだ。鮮やかなお手並みだった。
しかし、その結果、静之の性宇宙で、今までとは異質な混乱、いや惑乱が広がって行こうとは、誰も予想出来なかったことだった。
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