両性具有文学
・井野博美・

    宇宙の花粉  9


 夕食時にナンシーはその格好で食卓に着いた。
 「どうしたの、ナンシー、そのスタイルは、まるで男じゃないの。」
 と母が開口一番そう、ナンシーを咎めるように言った。
 「あたし、女の子のような男の人と結婚することに決めたんです。あたしが男役を務めるので、まずは格好からこう男っぽく決めたんです。あたしがFTMだということは、前々から言ってあるでしょう。それを実現するのにぴったしの人なんです。それが駄目だとおっしゃるのなら、あたし、この家を出て行きます。それで宜しいかしら!? 」
 と、短刀を突き付けるかのように、ナンシーは言葉を鋭く突き返した。母は真っ青になった。
 「どこで知り合ったのだ、新宿辺りのゲイバーでかね?」
 父は落ち着いてそう詰問した。
 「内のお店でです。お父さんも良く知ってる人です、いつも女の格好をしています。心も女です。でも、躰は半分男なんです。あたし、その人の子供をもうお腹に宿しているんです。産む覚悟です。駄目だと言われても聞き入れるつもりはありません。あたしの生活の信条を成し遂げられるかどうかがかかっている、重要な問題なんです。あたしはそれを完遂するつもりです。誰にも止められるものではありません。止めようとするものは突っぱねるだけです。」
 「まさか、あの静之さんじゃあるまいね?」
 「そのまさかです。あの人、戸籍上では男ということになっているんです。あたし、彼女と結婚することにしました。あの人は女役しか務まらない人です。あたしは男役をこなすつもりですから、あたしの信条にもぴったりフィットする人なんです。あの人の他にそういう人が見つかるとは思えません。あたしはもう決心しているんです。止めないで下さい。世の中にはあたし達のような人種がいるんですから。」
 「お前は半陰陽ではないぞ。ちゃんとした女だ。だから子供も産める。それを何故好き好んで半陰陽の人と結婚するんだ?」
 「それは人間差別の発想です。人間の個性に対する許し難い冒涜です。」
 「それは人間の理性的領分に於ける、理想論だ。現実にはそうはいかないぞ。きれい事が通用するのは、紙の上でだけだ。そんなことが解らないお前ではないだろう。」  「正しい理屈や欲望が通らないということは、社会が間違っているということではないですか。あたしはそういう社会に断固抗います。あたしは何事にも、理想と信条を貫く所存ですから、どうしても静之さんと結婚します。あたしは純粋な心で彼女を愛しているのですから。」
 「彼女と言うのか、旦那のことを。彼とは呼べないのか?」
 「彼女は精神的には女以外の何者でもありませんから。」
 「結婚したら、ちんちんが男らしさを主張し始めるものだぞ。」
 「彼女にはそんなものは着いてません、クリトリスが亀頭の形をしているのです。それが全精力を傾けると、やっと射精出来るというもので、その後、躰がすっかり疲弊してしまいます。こないだの救急車の一件のように。」
 「情けない男ではないか、ますます。」
 「彼女と申し上げているんで、男ではありません。男というのは紙の上でだけのことで、間違えた答案と同じことですが、その間違いのお陰で、あたし達は結婚出来るんです、幸運なことです。彼女が女に子供を産ませられるというのも、あたしの信条と理想にとっては、全面的に符丁が合うという至福に巡り会えたと言える相手なのです。」
 「内の血統に、いやお前の家庭に、半陰陽という不幸を招き入れることになるんだぞ、それが個性だとお前は言うが、不幸であることは間違いないんだ。親としては、自分の子供をみすみす不幸にしたくはないもんだ。」
 「その親としてのお気持ちは嬉しく思いますが、誰だって何らかのハンディーを背負って生きているものではありませんか。あたしだって、女でありながら、女でいられないという、女としては不幸な性癖を持っているのです。その不幸をしかし、静之という女性である男性と結びつくことによって幸福に転換することが可能なのです。生まれて来る子供だって、半陰陽児とは限らないでしょうし。正常な染色体の子供が生まれて来る可能性の方が高いんですから。」
 「そうか、子供を身籠もっているお前にこれ以上精神的不安を与えるのは良くないことだから、もう言わないが、彼女が、もし子供を産めるとしたら、今にでも誰か他の本物の男の子供を孕むことも考えられるから、それだけは今のうちに良く確認しておけよ。」
 なるほどとナンシーも思い、食事が終わると、後かたづけをし、早々に自室に引き上げて、電話を静之に掛けて、近々温泉にでも行きましょう、二人でと、持ちかけた。静之は何とか平静さを取り戻していて、OKした。明日の木曜日は二週間に一度行く病院へ行かない日なので、明日からでも良いとのことなので、それではナンシーが時々行く下部温泉に行かないと、ナンシーが言うと、任せると言うので、早速時々行く宿に問い合わせ、部屋が空いていることを確かめ、二泊の予約を取り、それを静之に伝えた。
 翌朝二人は駅で落ち合い、中央線に乗り、八王子で松本行きの急行に乗り換え、甲府から身延線に乗り、下部まで行った、温泉街は駅前に集中している。皆、昔風の木造の古い造りの建物で、その中にある行きつけの宿の玄関を二人はくぐった。女将に挨拶され、いつもの部屋へどうぞと言われ、ナンシーが静之を案内して部屋に入った。すぐに女中がお湯のポットと茶菓子を持ってきて、二人に挨拶し、ごゆっくりどうぞと言って、引き取って行った。
 「ここの温泉は混浴だから、一緒に入りましょうね。更衣室は男女別々なんだけど、ドアーを開けて浴室に入ってみると一緒になっちゃうのよ。いい男も危ない男もいるから気をつけましょうね。」
 二人はまず昼食をどこかの店で食べるついでに、小さな温泉街の探索をしましょうということになり、宿から出た。二人とも、ジーンズに長袖のシャツにジャケットという軽装だ。本当に小さな温泉街で、遊ぶところもない。温泉も湯治場という感じだ。うどん屋を一軒見つけ、其処に入ると、肉うどんというのがあり、それを注文すると、豚肉の切れ端のブッ切りが数個入っているだけの、肉の油が浮いた醤油味の、あまりぱっとしない味だったが、お腹にはううっとくる程の質量だった。
 帰って貴重品を袋に入れて封印し、女将に預け、部屋に入ると、いつものようにもう布団が敷かれていた。ここに来る客は病人が多いので、早めに床を用意するのだ。二人は浴衣に着替えた。それから二人は互いの躰を確かめ合った。静之のおっぱいも乳輪も乳首も完全な女性のものだった。それを片方唇で嘗め、もう片方の乳首をさすると、静之は上半身を仰け反らし、「ああ、おしっこが」と呻いたので、彼女の股間を見ると、女の位置にある尿道口から、少量のおしっこが出て、放物線を描いていた。
 亀頭は高さにして一センチ半程度だろうか。それを低い位置で取り囲むように、陰嚢があり、ごく小さな睾丸が二つ入っているのをナンシーは触診で確かめた。それをフェラチオすると、彼女は又上半身を仰け反らして喘いでいたが、口を離し、手で擦ると、少し大きく、そしてちょっぴり長くなり、ピクピクと太くなったり縮んだりし、摘んでみると、僅かな精液が胸の辺りまで飛んだ。ナンシーはそれをティシューで拭き取ってあげた。その間静之は、女のエクスタシーに溺れていた。
 ナンシーは次に彼女のワギナに人差し指を差し込むと、じきに行き止まりになってしまった。静之は、おぼつかない途切れがちの声で、「あたしの膣、盲端膣なの、子宮はないの」と返辞した。「卵巣はあるけど排卵しないの」と、囁くように告白した。
 彼女の躰の線は完全な女のものだった。オルガスムの状態も女のエクスタシーそのものだった。彼女の身体検査は終わった。おっぱいを揉まれるといつもおしっこをお漏らししてしまうと静之は言うので、そこだけ普通の女の人と違うようだと、ナンシーは不思議に思った。静之の陰毛の生え方もVの字型で、女のタイプだった。彼女には前立腺は無いということだった。
 次にナンシーの躰の身体検査をして貰い、二人は満足して、暫く眠った。今日は性行為はしなかった。静之には重労働だということが解っていたためだ。旅先で倒れられては大変だし。実際、静之は静かに熟睡している。しかし約一時間で静之は目を醒ました。ナンシーはもうちょっと前に起きて、茶菓子とお茶に手を付けていた。静之も起きて、それらに手を付け、お茶を飲み終えると、二人で浴室に行き、一風呂浴びた。
 数人の男女が既に入っていた。女性は年輩客だった。その婦人が、「若い娘が来るところではありませんよ」と、一言苦言を呈した。温泉は温度が低かったので、二十分くらいお湯に漬かっていた。頭から汗がたらたらと流れ落ちて来て、暫くして、二人は風呂から上がった。痩せぎすではあるが、静之の裸体は、陰部を見なければ、完全な若い娘の美を醸し出していた。
 部屋に戻るとじきに夕食が運ばれてきて、テーブルにロースカツにキャベツの千切りと、味噌汁とお新香にご飯という、宿屋にしては簡単で質素なメニューが並べられた。二人はビールを一本注文してあったので、それでまず乾杯した。コップ一杯飲むと、静之は耳まで真っ赤になる程、顔に赤身が刺して来たので、ナンシーは驚いてしまった。しかし、静之は、それで酔っぱらったわけではなく、コップで二杯飲んだが、躰の調子は何ともないようだった。いたって食欲が沸いたようにも見受けられた。
 食事が終わり、食器を片づけてしまうと、二人は寝床に横たわり、話を始めた。
 「ねえ、静之、貴女は女の人と性行為しても罪悪感はないんでしょう?」
 「ううん、少しはあるわ、男の人としても多分にね。どちらの性の人をも騙しているんではないかという意識が、どうしても着いて回るわ。でもまだ、男とはやったことはないのよ。女の人とも、貴女が最初。あたしの童貞を捧げた人よ、貴女は。苦悩も捧げてしまたような気がして、心が痛むのよ。」
 「そんな心配はしなくていいのよ、静之。あたしは貴女を女として愛しているんだから、あなたの苦悩をあたしに捧げられたって聞いて、幸せって感じになれるもの。愛って、そういうものじゃないこと? 互いの苦悩を分かち合うことは、愛にとって当然のことでしょう。愛を構成する要素だと思うわ、互いの苦悩を知るということは。だからって、貴女の苦悩をより深いものにしようというわけじゃあないのよ。互いの愛の中で熟すべきものだと思えるの。
 貴女の戸籍上の性別が男だとしても、又、貴女が女を妊娠させることが出来るとしても、貴女が十全たる女だということは間違いのないことでしょう。そこから生じる貴女の性の対人関係が生み出す苦悩を、あたしも少しは解る気がするのよ。だから、そのことで貴女が私のために傷つくことはないわ、癒されることはあっても。そう思って打ち明けてね、貴女の苦悩を。」
 「貴女はあたしの肉をでなく、心を愛してくれるのね、嬉しいわ。あたしの肉があたしには苦悩の源で、それ故にあたしは今まで自分の肉の本性を覆い隠してきた。それが姉の計らいで、貴女と交わってしまって、一気に破裂してしまったわ。あたしは自分のしたことに許可を降ろせなかったので、苦悩がとてつもなく大きく膨らんでしまった。その苦悩の風船を、貴女が吸い取って小さくしてくれた。その分、あたしの苦悩が貴女の心を犯してしまったのではないかと、心配したのよ。
 でも貴女はそれを愛の贈り物のように受け取ってくれる。何て心の広い人かしら。あたし、そういう人と巡り合えて幸せよ。あたしも、肉の次元を超えた愛というものを貴女によって開拓出来そうだわ。でも、貴女に与えた心の苦悩を貴女はどう受け取って下さるかしら?」
 「それは、貴女をあたしの結婚相手にするということを両親に納得させるという苦悩なのよ。でももう、貴女の子供を身籠もっているということも知らせたし、両親もそれ程強くは反対していないの。貴女を旅行に誘って、貴女が男と結婚する気があるかどうか、それが可能かどうか、つまり貴女に妊娠する能力があるかどうか確かめておいでと。それだけが今となっては心配の種だと言うものだから、こうして旅行に誘って、身体検査をさせて貰ったのよ。悪く思わないでね。」
 「それは当然の心配ね、そうしてくれて、あたしも苦悩が軽くなったもの。自分の隠していたことを知って貰って、胸のつかえが降りた気分よ。まさに貴女がさっき言った、お互いの愛の絆で熟して、互いの栄養分になる愛の果実になったようだわ。感謝してるわ。一般的には禁断の果実だものね。それを食べてくれる貴女に唯感謝感激するのみよ。
 でも、貴女に与えた苦悩、つまり貴女の両親に、あたし、挨拶に行かなくちゃね。それでこそ苦悩の果実は熟すというものだもの。」
 二人は一応意気投合して、二人の愛の確認をすると、一緒に浴室に行き、お風呂に漬かった。ここの温泉は不眠症に効くので、静之に、睡眠剤を飲まずに寝てみたらと勧めた。しかし、打ち明け話をして興奮気味の彼女は、薬なしではなかなか寝付けず、起きて薬を飲んでから眠った。
 次の日は身延山に行ってお参りし、お昼を食べてから、たった一駅だが電車に乗って下部に戻り、宿でいろいろ話をして、次の日、家に元気に帰還した。
 夕御飯の時にナンシーは、両親に静之の躰や、恋愛の対象は女であることなど、下部で確認したことを話し、彼女との結婚を許可してくれるよう頼んだ。両親は黙り込んでしまった。
 「あたしの一生の問題ですから、自分で決めさせて下さい!」
 そうナンシーは宣言して、食器類の後片づけを済ませ、自分の書斎に戻った。母が昇って来て、
 「貴女の思う通りになると思ったら大間違いですよ、それが解ってからでは遅いのよ。もう一度よく考えなさい。」
 と言って、降りて行った。静之の決心は変わらなかった。何事だって、思う通りに行くわけではないことの方が多いのだし、それでもそれにめげずにチャレンジしているのだ、人間という生き物は。一生、チャレンジして果てるのが人間の本性だと思った。今は、静之との愛にチャレンジするべき時なのだと、ナンシーは決意を新たにした。






N E X T
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