末日性徒ベルボー 第三章 両性具有者の意識 -4- 人格の能観・所観


 肉の欲求に基づく性をもその理性的能力の下で創造するに到った、ミズルの人格は、いったいどのような相貌をしているのだろうか? 果たしてミズルの自己は、肉体を昇華することが出来るのだろうか? 肉体を昇華したら、何が生まれるのだろうか? 或いは何を削ぎ落とすだろうか? 自己は何者かを産み落とすことが可能なのだろうか?
 自己は前に述べたごとく、肉体により産み落とされ、肉体にこうせよと指針を与えるものである限りにおいて、肉体の親であるところの何者かであった。肉体にペルソナ(人格)を付与するものであることは明らかだが、又、性をも対象化し、性を創造するものであることも明らかだ。そういう能力を、自己は持っている。
 それらは、両性具有だからこそ発想される、性の対象化と肉体の昇華という概念なのだが、それをしないと、両性具有者は、性的閉塞状態に陥ってしまいそうだと、ミズルには思えるのだ。常に自己により対象化されていないと、自分の両性具有という性が不安にもがいて、性の両極の間で浮遊してしまい、性的自我とでも言うべきものを失ってしまうように感じられるのだ。両性具有者といえども、性的自我を持っているのだ。
 しかし、その性的自我は、自己により把握されるものだという点が、普通の性の人と違うポイントだ。それは、両性具有という性が具体的に表面に出ないで、内部に向かって潜むように棲息しているので、現実の他人の眼差しに確認されないため、性的に交差することがなく、性の自己確証を成し難いことに起因するのだ。
 であるから、両性具有者の能観は非性的であり、所観は両性具有という、矛盾したものになるのだ。つまりそれは、ソシュールの音韻論で使われる、能記とか所記という概念のようには、表面的にぴったり噛み合ったものではなく、両性具有という扉を開いてみないと解らないという、見分け難い状態で存在しているのだ。
 それは本人の鏡でさえ、単に覗いただけではその扉を開くことは出来ない。そういう扉があるというシグナルさえ見えないのだから。それは、オトコとオンナという差異を現していないシーニュ(記号)だからである。普通の人は、そういうシーニュがあるということさえ気付かないのだ。隠れているという形で現れているシグナルなのだ。この現前のパラドックスを解かないと見えてこないシグナルなのだ。
 両性具有者の能観はそういう、見えていながら隠されているというものであり、その隠されているものを覗くには、本人の告白を待たねばならないのである。告白しなければ解らない性、それが両性具有者の所観である。
 そのような所観を呼び寄せる能観は、一定のシグナルに見えるものではなく、不定形の、変化を伴ったものである。というのも、口を開いての告白を待たなければならないからである。そしてそこに現れるものは、オトコとオンナという差異ではなく、もっと大きくて深い差異、つまり、オトコとオンナを併せ持っている存在という、一般性と異なるという、類との差異性なのである。このような根元的差異が、見ただけでは特定出来ないというのも、不思議なことである。
 しかし、両性具有者本人にとっては、見ただけでは解らない方が、心は平穏である。すぐに解ってしまっては、常に差異ならぬ差別の網の目に取り込まれて、類から外れているという悲哀に苦しむことになるだろうからだ。
 この、類との差異を持っているということが、両性具有者の持つ最大の所観なのである。このことに気付いたのは、ミズルが大学を卒業する頃であり、卒論に書いている最中に、苦難の思考の果てに辿り着いた、主要なる論点の一つだった。自分の特異性、いや、怪異さを摘出し、それを他人に提示するのは、かなり悲しい行為だったが、しないではいられないという気分でもあった。それは、自分の本質を自ら掴むことであったからだ。
 ミズルは、自分の本質を類に対して叩きつけた気分だった。だからといって、類から逃亡ないし脱出出来るわけでもなく、却って、類の外縁に設えられている異端審問所に引っかかっているという、感無量の感傷にむせいだ。
 能観・所観という用語は、ソシュールの用語の訳である、能記・所記でもよかったのだが、対象が言語よりもスケールも領域も大きいもののため、道元の[正法眼蔵]で使われているものの方が適していると判断し、それを採用した。
 卒論のタイトルは、[性的異端のクラーゲ]と付けた。ほとんど独りで切り開いた研究分野だったので、教授に直接教えを請うたわけではなかったが、諸人文科学を幅広く取り入れていると認められ、無事通過した。
 ミズルは、自分の性のアポリアを描出することに成功したためか、分裂症に罹るかと危惧した時期を乗り越え、安定しているとは言えないのだが、一応の肉体的に安寧な状態に達することが出来た。
 実の母はネフローゼが収まり、退院し、祖母も亡くなったことで、父とよりを戻すことも出来、三鷹で昔のような家庭生活を送ることになり、東京に引っ越して来ていた。しかし、ミズルはそこに帰らなかった。

         2002.1.9.    完





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