末日性徒ベルボー 第二章 自己と性世界の関係 -1- 性感覚の混迷


 彼ら四人は、以前からの知り合いのような気がしていたが、なかなか言葉を切り出せずにいるという、おかしな自分達をまず笑った。それは、純情な若者らしいはにかみの顔だった。
 「重い口に乾杯!」と、ミズルがまず口を開いた。皆微笑んだ。「苦い青春の酒に幸いあれ」と、男装の麗人が継いだ。その声は柔らかなソプラノだったので、皆びっくりしてカレの顔を覗き込んだ。カレの顔がそれに耐え切れず、女の泣き顔に変わった。「素敵よムッシュー」と、ミズルがカレの肩をポンと叩いて言った。「そうよ、それでいいのよ」と、女装したオトコが、ハスキーな声で続いた。皆、クスクスと笑った。最後に残った、男装した人物が、「俺もアタシよ」と言って、皆を笑わせた。その声もハスキーだった。 四人は手を真ん中に差し出して、固く握り合った。それは自分達が、性について悩んでいるという絆により集まり、それを確認し、仲間になれたという徴に辿り着いた、喜びの表明でもあった。早速綽名付けから始まり、ミズルは[マドモアゼル ベルボー]、女装している人物は[スカート穿爵]、男装の麗人は[ナルシッサ]、もう一人の男装している人物は[霊界人]と決まった。
 いろいろ話しているうちに、スカート穿爵は一戸建ての家に一人で住んでいるとのことで、いつでも遊びにおいでよと、皆を誘った。武蔵小杉という、日吉に近いところに住んでいて、父親は某自動車会社の重役だそうで、オーストラリアの支社長をしており、母親もそっちにいるとかで、一人で棲むには勿体ないのと、そこを根城にしてくれると嬉しいというので、早速穿爵のその家に行くことになった。二階建ての家で、部屋数も充分で、なるほど独りでは寂しさを感じる広さだった。
 スカート穿爵も、高校時代はメルボルンに両親と一緒に住み、そこのハイスクールに通っていたそうだ。オーストラリアの英語は、ロンドンのダウンタウンのスラングで、それに慣れてしまうと、普通の英米語の聞き取りや発音に支障を来すので、第一国語はフランス語を選び、外国語としてオーストラリア英語を受講したが、馴染めなかったので英語は覚えられなかったと、残念がっていた。そこを卒業して、日本に独りで帰ってきて、この大学の文学部に入ったそうだ。二年からはフランス文学を専攻したいという願望を持っていて、フランス語の勉強に熱心だった。
 霊界人は、葬儀屋の息子で、小さい時から、人前で決して笑ってはいけないと教育され、皆が笑う時でも決して笑うことがないという変人だった。傍目には、情緒の欠落のように映る。二年目からは哲学を専攻したいそうだ。彼は見るからに、考え込む人の風貌をしていた。それも人の死について考え込んでしまうのだ。そちら関係の人文科学書や医学の本をたくさん持っている。しかし彼の顔付きはどことなく女っぽく、目立たないルージュをいつも塗っているが、とても良く似合っている。
 ナルシッサは、青春期以前の少女に執着しているそうで、妖精のごとくありたいと言う。永遠の少女こそ、ナルシスに執着するものはいないというのが彼女の持論だ。ナルシス程、永遠の少女が恋する相手は他にいないとも言う。それはいたいけな少女の密やかな愛の特徴だと言い、その心持ちを研究したいそうだ。少女はまだ、具体的な愛を求めたり与えたりすることは出来ないが、愛を夢見ているという点で、この上なく美しい心を抱いているというのが彼女の見解だ。その愛の対象としてのナルシスを意識して、美しく男っぽく装うのだそうだ。
 ミズルは両性具有の身で、その躰で実現出来る聖なる労働を追い求めるのが、将来の夢だとまず語った。カノジョは、生理の時にドッと女性ホルモンが出て、それがカノジョを強烈に男っぽくしてしまうとも、珍しい性生理について説明した。それは女の生理を嫌っているからではなく、男の脳を賦活するからだと。男と女が躰や脳で、格闘しているということが現に起きているという、普通の人には解らない性の現象が、自分の躰で繰り広げられているのだと。
 それは先に記したように、カノジョの男の脳が、女体の快楽を求めるということと同質のものなのだ。女体の性を、男の脳がコントロールしてしまうということが、カノジョにはしばしば不可抗力的に起こることである。その逆に、クリペニスの快楽を、カノジョの女の脳が欲するということも起こるのである。
 こういうのを倒錯と呼ぶことは出来ないと、カノジョは力説した。恐らくカノジョのクリペニスは、陰核の作用に制御されているのだろう。そのためか、そのクリペニスからは、ほんの愛液程度に濡れるぐらいの精液しか出ないのである。時々にじむように出るその精液も茶色で、女性ホルモンをたくさん含んでいるものだ。エレクトしたこともない。
 そういう事実をミズルは皆に話した。自分に物の怪が憑依しているのは、性的な変異からくる、無常なる生命体が呼び込む、動物的本能なのだという風に考えていると、私見を述べた。そのためしょっちゅう、性的異常気象に悩まされると、自分の肉体について語った。例えば、オンナの風体をしていても、どことなくダンディーなオトコというオーラを発散しているように見られるが、クリペニスを愛撫しても、女性ホルモンの分泌が活発になるということも、その一例だということ。
 ミズルには、腹腔に停留睾丸が一つあり、その他に一つの卵巣と卵巣睾丸、そして子宮がある。その上、ワギナもある。そして、ペニスとは言えない陰核の先端が亀頭になっていて、そこに睾丸からの輸精管が通じているという変わった構造をしている。尿道口は普通の女性の位置に開口している。
 脳の構造もオトコとオンナの両方らしいと、とても珍しい躰なのだということを強調した。そのため、ヒステリー発作を起こした時も、女の錯乱振りに加え、男の凶暴さも同時に発揮されるので、誰も止めることは出来ないことも話した。そして、まだ童貞であり、処女でもあると告白した。性科学を研究したいが、そういう学科がないので、ひとまず社会学を選ぼうと思っていると告げた。
 その日は皆そこに泊まることにし、夕食の買い出しに皆で出かけ、カレーライスの用意をして戻り、ミズルとナルシッサが料理して皆で食べた。それからが大変だった。
 ミズルの性のこけら落としをしようということになったからである。最初の相手はミズルに相応しい人物として霊界人が選ばれた。まず彼がシャワーを浴びて、それからミズルも浴びて、すっぽんぽんで床に乗り、二人は互いの躰を見つめ合った。ミズルのクリペニスは陰毛の中に隠れていたが、彼はそれをまずフェラチオ、そう、クンニと呼んでもおかしくないをしてくれた。ミズルの躰はガチガチに強張っていたが、それで快感が感じられ、躰を硬直させていた力が抜け、エクスタシーを感じた。
 それから彼は、ミズルの胸をさすったり、乳首を嘗めたりし、喉元から耳たぶまで舌で愛撫した。ミズルも彼の口に舌を丸めて入れて刺激したり、ペニスをフェラしたりし、彼はミズルの躰にインサートし、腰を何度も律動させてオルガスムに達した。勿論彼はコンドームをしていた。ミズルも初めてワギナの律動やオルガスムに達する快感を味わい、幸せに感じた。  恐怖というカテゴリーにある性行為というという観念が払拭され、そういう意識もエクスタシーのごとくに躰から噴出して行った。それこそ、「エクスタシー」の哲学的直訳である、「脱自」というものだろうと思った。これで性というものが、特異性故のコムプレックスから解放され、自ら肯定出来る自分のものになったという確信が持てた。その嬉しさに、ミズルは涙を流した。性行為の間、霊界人は終始無言だったが、ミズルは、アーアーとかシュヴァッとか、ウーウーとか喘ぎ声を出していた。正に裸体同士の性の挨拶という感じだった。
 ミズルは裸体のままトイレに入り、ヴィデでワギナから子宮まで念のため洗浄した。霊界人はシャワーを浴びて出てきた。ミズルもシャワーを浴びた。そして、互いのランジェリーを着せてあげるということをして、初夜の挨拶は無事終了した。  しかし、それが終わると、激しい嘔吐がミズルを襲った。そして肉の快楽の記憶が遙かな彼方に消えて行くような感覚を催した。そう、感じたというより肉の実体と脳の関係のためにそう「催した」のだ。何故こうなるのか、躰の反応なのだから仕方ないことが、ミステリアスで不可解な現象だわとミズルは思った。
 しかし、ミズルのメモリアルな出会いと初体験を祝おうと、残った二人が、ワインとかソルティードッグといったアルコール類を買ってきてあったので、皆で乾杯した。ミズルは初めて飲んだカクテルを、「お菓子のように美味しいお水だこと」と評したら、みんな笑ってしまった。ミズルは酔いが回ってしまって、椅子に座ったまま眠り込んでしまった。それを知らないうちに布団に寝せてくれたらしく、気がついたらそうなっていた。皆に感謝した。リビングではまだ皆が談笑しているようだったので、それに加わった。
 ミズルは、自分の女性の性器の快楽を感じたのは、何かの錯覚だったのではないかと、快楽に疑念を覚えた初めての夜でもあった。それを感じているのは、脳の何かなのだろうという印象を抱いたが、定かには解らなかった。自分の肉体を、性行為という恐怖に硬直させていたのは、頭の苦悩に因るものであろうことは確かなことと思われるが、それがエクスタシーと共に苦悩を生んだということからも明らかだろうと思った。脳髄の性的苦悩という、自己を拘束してきたものが確かにあったのだから、それも自分のメモリアルなものとして解析したいと思った。
 一心地つくと、ミズルは面白いことを、今夜の相手だった霊界人の見解を聞きたいと思いつき、尋ねてみた。
 「ねえ、葬儀屋の息子さん、人が死ぬということは厭という程解っていると思うけど、子供が生まれるという、新しい命の誕生目指して努力するということをどう思う?」
 「生まれるのも自然に死ぬのも、自分で決められることではないのよ。自分個人ではどうにも理由の解らないことよ。でも死人を葬ることと、子供を作るということは自分で決められるという、奇妙な関係にあるのね。これこそ、現世と霊界を取り結ぶ不可視の絆だと思うわ。でも、子供が霊界から現世に現れると言い切れる自信はないわ。生まれた瞬間から人間には霊魂が宿っているとよく言われるように、霊魂と霊界は密接に絡み合っているのは事実だと思うけど、難しい問題ね。
 でも、これは単に日本語特有の文字の類似かも知れないかもね。つまり、[霊]という文字で繋がっているという。そういう方面の言葉で連想を逞しくするなら、精子とか卵子というのは、[霊媒]だと言えないこともないんじゃなくて。その結合により人間が誕生するというのは、人間を構成する男女が、精霊の仲間であるとも想像することが出来るわ。こう考えると、霊界という東洋的意味付与と、西洋的意味が解け合うような気がするわ。
 人間は時として、自分の前世は何だったなんて言うように、前世があると考えるけど、それが霊界と関係亡いとは言えないでしょう。同様に、自分の来世ということも考えるように、それも霊界が媒介していることも確かだわ。でも、前世、現世、来世と連げて考えるのは、人間には基本的に永遠の命があるといいと期待している、現世人の、死に対する強烈な恐怖心を和らげようとする、思考上の産物に過ぎないとも言えるんじゃないかしら。 だから、死の恐怖と霊界並びに霊魂は、密接な関わりを持っていることは確かなことよ。それだけ、命というものは不可解だということかしら。その故郷を考えるようになることは、人間的必然であるとも言えるでしょう。
 人類は、生まれると必ずそういうことを考えることになる。それが宇宙の謎であるとも考える。それらを解きほぐすのが人間の運命であると考えながら、営々と子孫を遺して、人間や宇宙の謎を解こうと欲する。
 吾が子孫を遺したいと欲するのは、生命体の本能だと言われているけど、本当かしら。種の保存の法則だとか言われているけど、絶滅する種も現に多数存在するでしょう。法則とか本能ではない、快楽を求める行為よ。子孫を遺せるかどうかも、ほんの偶然で、それは死ぬことよりも不確かなことだわ。でも、遺したいのは事実のようね。」
 と、霊界人は自分の想いを述べたが、一度もにこっとしなかった。葬儀屋の息子だけあって、人間が死ぬということは骨身に浸みて分かっているようだった。
 ミズルにとっては、自分が現世人であることさえ不可解なことだった。ひょっとして、この世とは霊界なのではないかと思うことさえある。何者かの夢の中に現れている、幻のような被視体であり、自己というものの生ける時空ではないのではないかと感じることもある。そのようにも、自分の存在が希薄に感じられることが多い。それは、自己というものを、まだ磨いていないためだろうと考え、必死に本を読んでいる。ミズルには、自己というもの抜きに、生きていられないような気がしているためである。
 今夜、初めて性行為を経験したが、それによって、自分の肉体はこの世で、自分の自己の対象である他者と共に生きているらしいことは実感出来たが、それも実は肉の律動を他者の存在の賜であるのかもと感じただけなのかも知れないと思った。性行為というものは、自己を確認することは出来ないが、自己の対象である裡なる他者とでも言うべきものを確認させてくれる、不思議な出来事だと思われた。
 しかし、さっき記したごとく、脳のどこかで性の律動を感知したようなので、それを確かめたいと思っている。と言っても、脳で感知したからといって、自己の領域が開拓されたわけではなく、自己の対象である、裡なる他者の存在を朧気に感得したに過ぎなかった。 性というものが、自分に密着しているようで、遊離していることもはっきりし、恐怖の自己対象でなくならなかったのは、大いなる現世とやらでの苦悩であることは確かだと思った。それが進歩と言えるかどうかは、まだミズルには疑問だったが。ひとまず、自分の肉体から不吉な性的コムプレックスが消えなかったのは、自己によって咀嚼され難いのだということもはっきり認識出来た。人間性の大きな不安を看取出来たのは逸楽でもある。 そういう風に自分を見つめる自己がいるということは、ますます強固な確信へと昴じていった。そういう自己というものを捉え、思考するのは何の作用に因るのかは、未だ皆目分からない闇の中にうずくまっているようだった。





N E X T
・末日性徒ベルボー・
1章 ∴  2章 ∴  3章 ∴あとがき





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