末日性徒ベルボー 第一章 性と人格の乖離 -3- 蒼白な情緒


 親にも躰にも捨てられた、水流の[意識]というか[心]は、当然足が地に着いていなかった。血縁からも肉体からも遊離した意識並びに心が、自分を捨てたそれらを見返すという立場に立てるということに、じきに気が付いた。見返していると、不思議なことに、それらを死地に追いやるのではなく、逆にそれらに生気を吹き込んでゆくように思えてきた。 しかし、それらは肯定出来るものではなかった。心が弾めば、自分と関係のなくなった筈の表情がほころび、笑顔になる。しかし水流には、そういう現象が癪でしようがなかった。「ワタシを捨てたくせに、ワタシに微笑むとは背信行為の上塗りではないのか、それとも、ワタシを侮辱して嘲笑っているのではないのか」と、不信の念を反射される気がしてならなかった。ワタシに哀れみの表情を示さないのはどういうつもりなのだ? と、鏡像に反問した。
 「この顔がワタシの心を放逐したのだ。それ故、この鏡像はワタシの心を無視している筈ではないか。なのに何故ワタシを見るのだ? ワタシはお前と相容れない存在なのだぞ。そんなことはとっくに解っているだと。生意気言うな。ワタシが見てやらなければ、この世の存在にすらなれぬ哀れな身の上のくせしやがって、莫迦めが。」「何、そんなことは、あんたが勝手に考えているに過ぎない自己嫌悪だと? 自分はこの宇宙に確かに生きているだと。だがな、良く覚えておけ、それはワタシが生きてあるがためにお前を生かしてやっているのだということをな!
 よく考えろだと、どういう風にだ? 聞いてやろうではないか、心亡いものの哀れな言い分を、ワタシは博愛主義者だからな。」
 「私共には心も意識もございません。ですからあなた様がお考えのようには、躰を持っているわけでもないのです。あなた様は私共に捨てられたとお考えのようですが、肉体亡き魂というものは幽霊でしかありません。あなた様に抜けられて、実は困り果てているのです。それであなた様を追尾しているのです、日夜、夢の中でも。何しろこういうのは逆説なのですが、私共の母体はあなた様なのですから。それで、あなた様が鏡を覗けば、あなた様に一番似合う顔をお見せするよう務めているのです。 でもあなた様はその顔が背信行為だとおっしゃる。私共があなた様に背いていますという顔をしたら、あなた様はその顔を叩き割ろうとするような気がして、怖ろしいのですよ。そんなことしたら、あなた様は滅んでしまうでしょうから。それは解っている筈ではございませんか。」
 このようなやりとりを、水流は毎夜、鏡と交わしていた。彼らの言い分を聞いていると、肉体が魂の母体なのではなく、魂が肉体の母体のような錯覚に陥る。そこではたと水流は閃いた。肉体と魂は相互に相手の母体なのだと。母なる魂、母なる肉体、これが人間の生成の実態なのだと。そのように考えるならば、鏡像が囁く主語と、ワタシが呟く主語は一つに解け合って、十全たる自我を身に溶け込ませることが出来るかもしれないなと、静かな期待に満ちた瞑想に耽ることもある。
 魂の母性と肉体の母性との絡み合いが解けてしまい、母性の両側面が乖離してしまったのだと、悟った。そして実の母に捨てられてしまった水流は、自分の母性性だけは大事にしなくてはと思った。いつか、実の母が正気を取り戻し、水流と温かい気持ちで再会出来るかも知れないと、淡い期待を胸に抱いた。
 しかし、自分の二つの現実の母性は、自分の心に最早重ならない。ワタシの両性具有という肉体を孕んだ母性が、ワタシの心と離れてしまっている。そういうことは、今のワタシには痛切に解る。だから毎夜、鏡に映る自分の肉体を見つめつつ、それを包容する母性を探しているのかも知れない。こう考えられるのは、ワタシの頭は分裂せずに醒めているからだと、水流は思った。
 しかし、物寂しくて、居ても立ってもいられなくなってきている、この頃。ワタシの足が地に着いていない以上、当然の状態と言えばそれまでだが。足はワタシを蹴飛ばすためにあるのだという現状故、頼りにならない。この頭蓋骨だって、ワタシの脳髄の思考を内部に幽閉するためにあるのかも知れないのだ。いや、脳髄でさえ、ワタシの思考とは関係無いと、いつ言い出すか分かったものではない。ワタシは吾が肉体に捨てられたのだからなと、水流は蒼くなって思った。
 しかし、生来、ワタシの母性性は豊かであって然るべきではないのか、女性的肉体をしているのだから。そういう精神状態にいられるのなら、ワタシを見捨てた肉体を、吾が子として暖かな気持ちでかき抱くことだって可能ではないのか。そうだ、暫くそう努力してみるべきだろう。そのためには、オンナの格好をすることも辞さないつもりだ。とても良く似合うこと間違いなしだ。
 そう思って水流は、ヤング向けの女性雑誌を机に広げた。水流が買う雑誌は、全て女性向けのものだ。この学校は男女共全寮制だが、制服が無いので、各自勝手な服装で授業に出席出来る。髪を茶色に染めたりブリーチしている男女も珍しくない。水流の髪の毛は長髪で、肩まで垂れているが、それをまず、ブロンドに脱色(ブリーチ)してみた。三十分もかかったが、カノジョの黒髪が大理石のような色合いになった。カノジョは十分満足して、シャンプーした。それから眉毛を剃って、髪の毛と同じ色で描いて、オンナらしさを強調した。
 それから町へ行き、ミニのフレアーのワンピースを買い、可愛げなランジェリーや装身具も買い揃えて、靴も女性用の二十五センチの茶色のパンプスを買い、帰って着てみた。良く似合っていると思えたので自信を持てた。その時、本当の自分になれたような気がして、しばし鏡に見入っていた。鏡像もカノジョの心に憩っているように見え、水流の心は喜びに弾んだ。肉体が自分に帰ってきたと思った。
 水流の心に適った衣裳を身に纏ったという快感に、酔いしれるようだった。心に身体が憩っているという初めての感覚を確かめるために、カノジョはそっとスカートの裾を脚に沿って上にずり上げ、見やった。脚は確かにスカートの中で慎ましく、生娘らしく、悩まし気さをアピールしていた。
 「アナタの心に似合いますかしら?」という囁きを聞いたように思った。「とても良く似合っていてよ!」と水流は呟いた。そして両足を軽くさすった。官能美に脚も腕も痺れるかのような反応を得て、カノジョの心はときめいた。
 そして、今まで自分を冷たく見やっていた表情にお化粧を施し、自分の心に適うまで顔を改築した。自分によそよそしかった表情を消して、一人満足した。そして、単に美しくなったのではなく、自分の心に服従させた面体になった躰に命令を下した。
 「ワタシの美の要素になりなさい!」と。鏡像は仮面のようだったが、目で頷いて一言囁いた。「女になって下さい。」その言葉に水流は戦いた。そうだった、まだ心はどっちでもない。それがどうしたって言うの、どっちでもいいじゃないの、と反問した。
 夜の2時頃、水流はお化粧を落とし、ワンピースもランジェリーも脱いで、ネグリジェに着替え、犬の縫いぐるみを胸に抱いてベッドに潜り込んだ。次の日の朝早く、いつものように、まだ誰も起きていない時刻に起きると、シャワールームで丁寧にお湯を使い、自室に戻った。
 そしてスカラップの付いた可愛気なショーツを穿き、ブランド物の被るタイプのブラを着け、ワンピースを着て、白いソックスを穿き、髪の毛をブラシで整え、お化粧をする前に野菜サラダを作って軽く食べた。出かける用意は出来た。頬には青白色のパンケーキを塗っているため、色白のカノジョの顔に良くフィットしていた。こういうのをアニマ的お化粧というのかしらと、カノジョはふと思った。いや、本能的なものよと、思い直した。全体的に見ると、キュートなボディーを衣裳が可愛らしく包んでいるという観があり、カノジョは十分満足した。
 まだ皆が食堂で食事をしている間に、女子生徒の姿になった水流は、寮を出て、校庭を散歩して心を落ち着かせた。水流は今高校の三年で、季節は秋だった。もう、この学校にいる時間も残り少なくなっていた。大学受験を目指して、皆勉学に励んでいる時期だった。その頃になって水流は、自分の性変異からくる自己喪失感に目覚めてしまったというか、襲われていた。それから自意識を救うための行為に走ってこうしているのだということは自覚していた。  さて、朝の一時間目が始まる二分前に水流は自分の席に着いた。隣の女子生徒が驚いて騒ぎ立てたので、クラス中の注目の的になってしまった。それで水流は、机に両肘をついて頭を抱え込んでしまった。すぐにベルが鳴り、先生が入ってきたので、静かになった。一時間目は担任の先生の生物の時間だった。先生は、丁度授業の進み具合が、人間の性染色体のところだったので、水流に教科書を読ませ、それから水流の染色体を例にとって、人間の性のいろいろなヴァリエーションを説明した。
 そして今日は水曜日で、午後はホームルームの時間だけだから、そこで性についてじっくり話し合おうと言って授業を終えた。水流は、先生に爪弾きされなかったことを感謝した。他の生徒達の興奮も、その問題の学問に紛れて、真面目な問題なのだという認識に変わったようで、冷静な目つきで水流を見やっていた。
 しかし、そう簡単に若者の性意識の凹凸がおとなしくなるものではなかった。皆、心に、生物学とは関係のない色恋の沙汰の性意識を持ち始めている歳頃だった。男子も女子も、性的には野獣に等しかった。ともかく、一時間目が担任の先生の生物学の授業に合わせて、初めて女装してクラスに出たことは成功だったと、水流は、胸をなで下ろしてホッとした。
 さて、ホームルームの時間が始まった。水流は先生に呼ばれ、パネルの前に立たされた。先生は開口一番、こう皆に問いかけた。
 「水流君が男だと思う人、手を上げて、では女だと思う人は?」
 皆困ってしまって、どちらかに手を上げた生徒は少数だった。しかし、いろいろな質問というか、意見が述べられた。戸籍上の性とは異質な、いや、かくも曖昧に見える人物がいるという現実は、性医学ではどうにも解決出来ないのですか? というようなことを言う生徒が多かった。先生は、解決しうる問題ではない、いや解決すべきかどうかもはっきりしないことだよ。唯、本人の性意識の流浪と放蕩と諦めがあるのみだ、と応えた。
 「[性意識の放蕩]とは穏やかでない、具体的にどんな変態的なことをするのか?」と、一部の生徒が興味津々という顔で訊いた。
 「それは、今日の水流君のように、今まで男の服を着ていたのが、女装して現れるというようなことが初歩的な行動でしょう。それは、カレのような肉体の人にとっては、変態的な所作ではない。実際、こうして装っている姿は見事な女子生徒であり、オトコという面影は、普段カレを見知っている吾々にも見抜けませんな。
 しかし、カレの心にはしこりのように、オトコという重石が乗っていることだろう。それ故に外面と内面の葛藤が起こり、内部で、分裂せる性を統合ないし融合するにはどうしたらよいかと思い悩み、普通の女性より女性的になろうとして、立ちんぼになったり、人中でお漏らししたりするという、女性色情を発散したりするようになるのですな。」と先生は受け流した。
 そういう言葉を今まで聞いたこともない生徒がほとんどであるから、反応は混乱し始めた。
 「スカートというのは女らしさの上品さを包む象徴であり、そこから女性色情を垂れ流すというのは、スカートの裾を侮辱するものではありませんか、許されることではないと思います。」と、普段奥ゆかしそうな表情をしている女子生徒が口を開いた。
 「いやいや、現実的には、スカートの裾ほど女性色情そのものであることは、皆も無意識のうちに気付いている筈だ。ふわふわちらちらと女らしさを呼吸して出し入れしていることも明白ですな、皆もそう思っているだろう。だから若い女性はスカートの丈の短いのに目が向くし、男はそれに引きつけられる。こういう性のお互いを引きつけ合う力を、フロイドという精神分析学者が、[リビドー]という言葉で言い表した。諸君も大学に行けば、そういうことは基礎知識として学ぶことになる。」
 生徒達は面白そうな話になってきたなと、顔をうごめかしていた。
 「いえ、そうでしょうか、そういう考えはランジェリーに対する冒涜だと思います。というのも、人間は、裸を覆うことにより、性的隠微な欲求を封じ込めているのですから。」
 生徒達が大笑いしてしまった。笑われて、水流はいたたまれなくなり、皆に背を向けてしまった。
 「性的欲求が隠微だと思うのはかなり昔の、ヴィクトリア朝時代に強い抑圧となって始まるものであり、それがアメリカに渡って、性的表現を弾圧するという、ピューリタニズムという宗教的な衣を纏って繰り返されたが、人間の性的現象は科学的にみて、ごく自然な、そして当然の基本的なものであると、二十世紀中葉に性の表現がアメリカでは解禁になり、それに続いて文明国のほとんどがそうなったのは、周知の事実ですな。そしてミニスカートが公認のものとなったのですな。
 それに、カレにどうしろというんでしょうなあ、実際、諸君。ランジェリーを身に着けるな、スカートを穿くな、というのかい? こんなに似合っているのに。そういう発想の行き着く果ては、両性具有者は何も衣裳を着るな、マネキンのごとくあれということではないのかい? それは人権無視というものだよ。どちらの性にも入れてやらないということであり、それは、どちらでもない者を、どちらかに入れるということより差別的でもあるんじゃないかい。
 カレは自分のことを知らない人達の中では、女としてしか通用しないよ。この現実をまず踏まえて貰えないかな。そこでカレが、いやカノジョが、いかに女性色情を振りまくかは、一重にカノジョの才能と努力にかかっているのだということを考えて欲しい。それは、普通の女性より困難だというハンディを背負っているんだということもね。」
 さすが年配の生物学の先生だけあって、重要なポイントを押さえてくれた、肯定的に。生徒達も納得して明るい雰囲気になり、「頑張れよ、ミズル」と声をかける生徒もいる程だった。先生は水流を皆の方に向かせた。
 その時の水流の顔を見た者は、恐らく一生忘れないであろう。人間性の奥深い懐疑と混乱に満ちた表情を湛え、虚無を見つめるかの眼から涙を零している、水流の苦悩を感じ取ったことだろう。
 「このお臀がアタシのだと言うの、莫迦くさいは。このランジェリーが何を包んでいると言うの。エロスが何だって言うの。スカートの裾がそんなに可愛い、と言うの、躰よりも。そんなの少女趣味じゃないこと。アタシは、腰もスカートの裾も軽いけど、尻軽じゃあないわよ! アタシは躰に捨てられたオンナよ。その躰を呪って、アタシの心を浄化して、やっと生きているのよ、心だけで。その心に似つかわしい躰を創り、それに似合う衣裳を身に纏う快楽を見つけただけよ。そのどこがおかしいと言うの。」
 水流のその言葉に、ほとんどの生徒は、顔を強張らせ、呆然とし、どういうことだ、まるで解らないことを言う奴だと、近くにいる生徒達の顔をキョロキョロと覗き込んでいた。
 「よく言った、ミズル、そこまで考え、悩みを昇華していたとは知らなかった。素晴らしい発想と思考力だ。将来大物になることだろう。私も安心した。実を言って、キミが分裂症に罹って発狂するのではないかと心配していたんだが、どうやらキミは、鋭い思考力で、その分裂しそうな要素を解剖し、整理整頓してしまったようだね。
 諸君、今のミズル君の論述の奥深さに気付くのは当分先のことだろうが、こういう、性についての異端児の意見を忘れずにいて、それをバネにして、弾力のある思考様式というものを身に着けることを期待している。」
 生徒達は、水流の論述は、別世界の生き物の物のごとくに感じられ、自分達には思いもよらぬ性世界を見せつけられる思いで、どう考えたらいいのだと、目を白黒させていた。 その初めて女装して授業に出て、この時間に皆で討論した結果、次の日から水流を変態という目で見たり、悪口を言う生徒はいなくなった。ミズルにとっては幸いなことだった。カノジョは、他の生徒には、異次元の世界を身のまわりに引き寄せている、一種の宇宙人として、畏怖の念で見られていることに気付いていた。それはカノジョが、男の服も女の服も着るにも拘わらず、一般的な性的なことに反応を示さないというためでもあった。普通でないと、そう言ってしまえばそれまでと思われている。
 中には、砕けていることでは評判のひょうきん者が、「あたしのお臀は誰のもの?」と、節や身振りをつけて歌って、他の生徒を笑わせて喜んでいる生徒もいたが。






N E X T
・末日性徒ベルボー・
1章 ∴  2章 ∴  3章 ∴あとがき





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