アンドロギュヌスの肖像U 性的偶像崇拝からの解脱
第二章 北海道にて -4- ゴロミンをのしいかにする
「万年助手は、下働きばかりさせれて、学問させて貰え
ないんじゃなくて?」
「そうなんですよ、その腹いせに弱い者いじめをして、
悪徳の手段を研究し、蓄積するんですよ。それが彼らの光
栄ある実績なんですよ、社会のダニとしての。そうはなり
たくありません。」
「貴方をどうするか、段取りを立てて待っているという
わけね。」
「暗澹たる思いがしますよ。」
「奴ら相手に弱気になったらおしまいね、腹黒い奴らを
蹴散らすぐらいの気構えでいなくてはね、もう後へは退け
ないのよ。共産主義は間違い故に廃れるんだから、ノック
アウトしてゴングを自ら鳴らすというのが、当然の心構え
よ。貴方の体格なら、簡単なことでしょう。
やっと青年は「ウッフッフ」と笑い、
「それが僕の過去と未来を切り離すゴングかも知れませ
んね、奴らをのしいかにしてやりましょう。僕の身長は百
八十八センチ、体重は九十五キロですからね、滅多なこと
では喧嘩で負けませんよ。」
「そういう楽しい夢を見て、研究を始めることね。もう
じき奴らがここに押し掛けてくるわよ、脱党は認めないっ
てね。そしたら、そいつらを全員ノックアウトして、ゴミ
捨て場に叩き込んでやるのよ、ウムを言わせず。
ここは貴方が所長なんだから、奴らが来ても泊まらせな
ければいい、叩き出すのよ、本当に。論争なんてする必要
ないよ、彼奴ら馬鹿相手では。相手にもしてやらないとい
う態度で初めから押し通して、奴らをここから叩き出すの
よ、本当にノックアウトして。」
「ウーン、腕が鳴る、血が騒ぐ、空気が入るとは正にこ
のこと、やってやる。今日の午後からさっそくトレーニン
グだ。貴女の言う通り、やりたいことの一つぐらいやらな
ければ、青年失格ですよ。嫌がらせしか出来ない奴らの性
根を叩きのめしてやる、二度と近寄れぬように思い切り。」
その言葉を聞いてユリカは楽しげに、最後のご飯を口に
運んだ。彼はサイフォンで珈琲を入れ、二人は初めてゆっ
たりした気分でくつろいだ。
「ヴィー ハイセン ズィー?」 (貴方、お名前は?)
「イッヒ ハイセ マコト ニシカタ。」 ( 西片真理と。)
二人はドイツ語で会話した。
さて、一週間後、三人のT大のN同の万年助手が揃って
やってきた。西片からユリカにそう電話がかかってきたの
で、ユリカは、ジーンズにセーターにスニーカースタイル
で研究所に赴いた。
「後10分でここに着く筈です。」
彼は少し緊張して唇を震わせていた。ユリカはお湯を沸
かして、紅茶を入れる準備を整えつつ、考えていた、今日
の作戦を。今日が最初で最後の喧嘩になるよう。彼に作戦
を伝授すると、彼らがやってきた。チャイムが鳴った。
「お前らを招待した覚えはないぞ!」
ユリカが言っといたように、まず西片が彼らの出鼻をく
じいた。三十六七の、児玉と名乗る彼らのボスが、
「お前の脱党は認めない、今が一番大事な時なんだ、ゆ
っくり話し合おうではないか。」
と言って、西片の胸を手で押して、ダイニングルームに
入ってきて、テーブルに着いた。ユリカは紅茶を五人分カ
ップに入れて、お盆に乗せて運び、一つは自分の前に置き、
後の四つは西片の前に並べた。
「ああ、喉が乾いた、一つよこせ。」
と、児玉が椅子から腰を浮かせて手を伸ばした。その途
端、
「お前達に飲ませるものはない、煮え湯以外にはな!」
西片は叫び、児玉の顔にコップの紅茶をぶっかけた。一
杯分。
「何をする、この野郎、、、」
と、児玉は席を立った。たちまち喧嘩が始まった。
「それっ、やっておしまい!」
とユリカも席を立ち、テーブルから離れ、壁に立て掛け
ておいた金属製のバットを手にした。西片も立ち上がり、
テーブル沿いにやってきた児玉の顎にいきなりフックを浴
びせた。児玉はテーブルに倒れかかり、テーブルに凭れ、
押して、壁にぶち当たった。
児玉はよろめいて、体勢を立て直そうとしていた。テー
ブルから手を離し、向きを変えた途端、ユリカがバットで
彼の足元をぶっ叩いた。児玉は床に転がった。その間に西
片は、もう一人の若い、中背の筋肉質の、この三人の中で
は一番強そうな男に殴りかかっていた。
まずアッパーカットを決めた。相手が大きく仰け反り、
崩れかかろうとしているところを、Yシャツの喉元を掴み、
腹に膝蹴りを入れた。男は一言も発することなく床に倒れ
た。もう一人の小男は全身震えて、「アウアウ」と喘いで
いた。児玉が立ち上がり、西片に突進しようとしていた。
「それ、もう一発!」
ユリカが叫んだ。西片は児玉の顔面にストレートを喰ら
わせた。児玉は膝から折れるようにして床に沈んだ。ユリ
カは、残った小男を侮辱した。
坊や、お漏らししたようね、とっとと出ておゆき。こい
つらはゴミ捨て場に放り出すから、拾ってどこかの宿にお
行き。
そう言って、ユリカと西片は、倒れている二人の男の足
を掴んで、部屋から引きずり出し、裏のゴミ捨て場に放置
した。二人の呻き声を後に、二人は建物の中に入り、玄関
をロックした。
管理人が青い顔をして飛んできた。
「所長さん、こんなことしていいんですか、東京に知れ
たらどうするんです。」
と詰問した。
「ゴロミン共を名前の通りゴロンタしてやったまでです
よ、心配はご無用、彼らが何と本部に言おうと、本部は取
り上げもしませんから。」
「ゴロミンて何です?」
「N同民暴って、知っているでしょう、ろくでなし共で
すよ。」
西片は興奮で声を震わせてそう言い切った。
「N同ですか、つまり彼らは。」
「そう、その細胞ですよ、時代遅れの。トンチキ共を本
物の豚にしたまでですよ。貴方は、何も見聞きしなかった
ことにして下さい。」
そう言うと西片は、胸の内ポケットから、十本包んであ
る封筒を取りだし、管理人に手渡した。中身を確かめた老
人は、さも驚いたというばかりに両手を広げ、首を縮めて
舌べろを出して笑った。
「ハイハイ、先生。でも、N同って、しつこいんじゃな
いですか、今度来たらどうするんです? 次はもっと大勢
で来るかも知れませんよ。」
「ワタシがここにいる間は二度と来ませんよ、あの腰抜
け共。」
西片は歯切れ良く言った。
「でも先生、あの人達、話し合いに来たんじゃないんで
すか?
「馬鹿と話し合うつもりも暇もないんです。思い知らせ
てやる以外に方法はないんです。「共産党宣言」なんて、
悪魔祈祷書ですよ。」
「でも、何故先生と話し合いに来たんです?」
「それはですね、つい先月まで私も彼らの仲間だったか
らですよ。でも私は止めたんです、一週間前に縁を切った
んです。そしたら押し掛けてきたというわけです。私は彼
らの手の内はよく知っているんです、きっぱり一度で縁を
切るには、この方法しかないんです。」
「そうですか、先生、でも先生も悪に手を染めましたな
あ、今日は。ここはマットやリングの上ではないんですか
ら。これっきりにして下さいよ、人間様を本当に生きたま
ま粗大ゴミにしてゴミ捨て場に放り出すなんて、マフィア
みたいですぞ。彼らはこうされても目は醒めませんよ、い
よいよ憎悪の念に燃えますよ。」
「でも、もう彼らに存立基盤は無いんです。そんな組織
に未だに残っているのがおかしいんです。いくら私を憎ん
でも、歴史の流れを変えることは出来ません。一言だって
口をきくつもりはありません。空飛ぶゴキブリ戦闘機を撃
墜しただけですよ。」
「ハイハイ先生、でもね、私の身にもなって下さいよ。
彼らを無事東京へ送り返すのは私の仕事なんですから。ゴ
ミ処理自動車に放リ込むわけにはいかないんですよ、どん
な人間であろうと、人間である以上。
おっといけない、彼らを向かいの宿に運ばなくっちゃ。
それじゃあ先生、本当、これっきりにして下さいよ、暴力
沙汰は。」
ユリカと西片は部屋を元通りにした。コップ類は床に落
ちて割れている。それらをきれいにして何とか、暴力沙汰
の痕跡を消した。そして紅茶を入れてゆっくり飲んだ。西
片の興奮も冷めていった。
「ところでマドモワゼル、フーコーの本は原書で読んだ
んですか?」
「ええ、そうよ。」
ユリカは力強く嘘をついた。西片は、にっこりして、
「フーコーの教養深さより、貴女の嘘八百の方がよっぽ
ど面白いや。」
西片がおかしそうな表情でそう言った。
「貴方の夢の古里に変貌するんでしょう、今日からここ
は。そのゴングを鳴らしたところ、後は貴方の努力次第ね。
「そうです、ここは今や、幸せの使者、白鳥が住むとこ
ろになったんです。黒烏共を撃破してね。」
「『白鳥の湖』という曲は、悪魔的魅力に溢れた傑作よ、
あたしはそれが大好き!」
「おう、今度は悪が魅力的だとおっしゃる、どこか錯倒
している、やはり。聴覚とか性の倒錯なら誰にでもあるこ
とですがね。しかし、悪が栄えた例しはないと、昔から言
われているでしょう。」
「いいえ、それは時のサターンの台詞よ。それを鵜呑み
にするとはたわいないわね。」
「なるほど。」
と、西片は苦笑いした。
「本気でサターンに歯向かいたいなら、貴方を運んだと
いう黒烏に磨きをかけて、それに乗って、権力におもねる
ことね。そいつらを欺くことね、ゴルバチョフのように。」
「そんな悪徳を。」
「悪徳も徳の一つよ。あたしは功徳を施しているつもり
よ。」
ユリカはクスクス笑ってしまった。
「まずは、長い物には巻かれろというんですか?」
「あたしは蛇が大好きなのよ、白蛇に翼をつければ白鳥
よ、白鳥の首は長いんだから。」
「ああっ!」
西片は仰け反ってびっくりした。
「貴女、本当はいくつですか?」
「二十五年前に地球に来たといったでしょう。でも、老
婆心からご忠告申し上げておりますのよ。オッホッホ。
イッヒッヒ ビン 婆!」
「こないだのヒステリーも凄かったけど、ジョークも大
したものだ。」
「どうせ言うんなら、『ミステリー発作!』って言ってほ
しいわね、吾ながら初めての不思議な現象なもんでねえ。
発作的冴えを見せつけてしまって、御免あそばせ。貴方は
それを誘発して下さったので、後で感激したのよ、本当は、
さすがT大の学者の卵は偉いってね。正に母性的発作、覚
醒発作だったわ。」
そう言って、二人は笑い転げた。ユリカは、自分がヒス
テリー発作を起こしたということに満足していた。本物の
女に近づいたと思えるからだ。
「坊やはおいくつ?」
「ええ、二十七ですよ。」
従順そうに西片は応えた。
「まだ二十代か、青二才だわね、助手になったばかりで
しょう。」
この女、かなり生意気だな、それにまだ二十五だとい
うのに腹黒い。女って奴は怖ろしい、と思った途端、その
女がおかしなことを言う。
「あたしのお腹はブラックホールよ!?」
本当のことだったが、西片には何のことか解らない、又
自分をからかっているのだろうぐらいしか。
「そのブラックホールで嘘八百の大コンサートですか?
でもその極細のウェストじゃあ、胎児が一人入ったら満員
御礼ですね。」
切り込むにはいいタイミングだった。
「貴方はエキストラの観客よ。つまりサクラってわけ。
頑張ってキャーキャー騒いでね!」
「またまた調子に乗っちゃって、まあ。
牙が生えてるのかな?」
「あたしは白鳥よ、嘴が生えてるのよ。」
ユリカは、いつからこんな女になってしまったのかと不
安になった。これじゃあ、多重人格者だと思った。しかし、
女とはこういうものよとも思った。これは楽しい、いつま
でこの純情な青年が、自分の徳に惹き付けられるか試すの
は、とも思うのだった。
時計を見ると、四時半だったので、ユリカはさよならし
た。
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