両性具有文学
・井野博美・

  アンドロギュヌスの肖像U 性的偶像崇拝からの解脱


     第三章  仮面の面影   -7-  早田の独立


 五月上旬、いつものように早田が若宮家の玄関に入ると、 早田の父親が腕組みをして立って待っていた。ジーンズの ロングのワンピースに、白いパンプス、イヤリングにマニ キュア、お化粧までしていた早田は、思わず立ち竦んでし まった。
 「莫迦野郎、お前、いつから女になった!?」
 そう怒鳴られた早田は、弱々しく俯いた。
 「何だその態度は、態度まで女々しくなりやがって、た わけ。その化粧は何だ、猿真似か、気が狂ったのか、どう したんだ、阿呆 !?」
 一気にまくしたてると父親は、カレの部屋に連れてゆき、 たちまち全裸にした、手荒く。その父親の前に、早田のす っかり女形化した躰がスッと立った。父親は顔を蒼白にし て、その様を見つめた。
 「いつの間にそんなになったんだ、佳織、、、?」
 父親は息を飲んで尋ねた。
 「五年前から段々と自然にこう、、、」
 早田は項垂れて返辞した。
 「嘘つけ、内には半陰陽の血を引く者はいないぞ、お前 が初めてだなどという筈はないんだ。」
 語気鋭く父親は切り込んだ。いきなり直截に核心を突か れて、早田は狼狽した。そこにユリカが割り込んだ。
 「いきなりこういうことをされては答えようがありませ ん、もう少しお手柔らかにお願いします。今のカレは昔の 彼ではないんですから。」
 父親は尚顔を蒼白にしてユリカを見やったが、怪しんで いる目つきだった。
 「そんな馬鹿な話があるものか、男が女になって行くな んて、薬でも投与されなくては考えられないことだ。佳織、 お前、誰に飲まされたんだ?」
 父親は、ユリカが犯人だと言わんばかりの目つきで早田 とユリカを交互に睨んだ。
 「気付いた時にはこうなっていました。その時以来、薬 の注射や飲むのを止めて貰いました。でも最早、自然にこ うなったんだと説明するのがお子さんのためにもいいこと だと思います。」
 「やはり薬だったのか、馬鹿野郎。」
 父親は息子の顔を平手で叩いた。
 「女装癖があるのは昔から知っていたが、ここまで女に なっちゃどうしようもないじゃないか、手術して胸を平ら にしてしまえ!」
 今度は威丈高に命令した。
 「今すぐそんなことをしたら、カレ生きてゆけません。」
 「どうしてだね、おかしなことを言わないで戴きたい。」
 遂に矛先をユリカに転じた。
 「カレは女のペルソナを持った人でした、幼い頃から。 それをここまで育んできてしまったのです。それが一気に 破壊されれば、心に罅が入ります。
 今カレ、立ち直る道の端緒にいるんです、ゆっくりと恢 復させるのが一番だと、お医者さんも言っていました。」
 父親は手を握りしめ、わなわなと震わせて聞いていた。
 「せっかく男に生まれたのにこの様か、呆れて声も出な いぞ」
 佳織は俯いたままだった。
 「早田君、早く服を着て。」
 ユリカが即した。
 「こんなに甘やかすんじゃなかった。これ以上家名に傷 をつけるのは止してくれ。これからは一生一人で暮らせ、 どこかアパートでも捜せ。子供は私達で育てる。」
 「それは無理です。娘さんはお爺さんやお婆さんを知ら ないんですから、急に引き取っても懐く筈もありません。 当分ここにおいといてあげて下さい、あたしが責任を持っ て育てますから。」
 「そのお気持ちは嬉しいが、あなた方にこれ以上迷惑を かけることはできません、絶対に。孫に対しても示しがつ きません、男と女を取り違えるような父親のもとで育てる わけにはいかないんです。」
 父親の決心は固いようだった。ユリカは感じた。こ父親 はきっと、こんな半陰陽者の手元に息子達を預けるんじゃ なかったと、後悔しているんだろうと。しかし、この父親 の言う通りにはさせられない、自然の理がそう諭している と、ユリカには思えた。
 「父親としての小父さんのお気持ちは良く解ります。で も現実的に、お孫さんを今引き取ることは不可能です。理 由もなく不適応症候群に罹ると思います。何しろ生まれて この方、お爺さんやお婆さんがいることさえ知らなかった んですから。
 すぐに早田君抜きで暮らすなんて、とても不可能なこと です。お孫さんは、どう対処したらいいのか解る筈があり ません。
 それに性生理が無くなり、更に子供まで取り上げられた ら、早田君、何を目標に生きてゆけばいいんですか、生き る当ても無くなったら、自殺するかも知れません。このこ との理をお考えになって下さい。
 今、貴方に何ができますか?」
 冷静にユリカが問い質した。
 「そう言われると返す言葉もないが、、、」
 父親は困惑したようにユリカを見やった。  「でしたら、今日からさっそくいいお爺さん振りをお孫 さんにご披露なさって下さい。夕食を一緒に召し上がって。 それから、早田君の自我を歪ませるようなことは二度とな さらないで下さい。」
 いつの間に来たのか、今子ちゃんがユリカと早田の間に 入って、手を接ないでいた。そしてお爺さんを睨んでいた。
 その様を見て、父親はすっかり気力を無くしてしまった。 要三も廊下からこっそり覗いていた。
 かくして、あまりにギクシャクした論議は終わり、お爺 さんを交えての夕食が始まった。今子ちゃんは、不思議な 男の人が来たわといった表情で、早田の父親を見やってい た。
 「今子ちゃんは今五つだろう、じゃあお爺ちゃんの歳は 知ってるかい?」
 「こっちのお爺ちゃんのなら知っているけど、知らない わ。」
 「それは参った、今五十七だよ、覚えておいてね。」
 「そんなに歳取ってるの!」
 早田の父は苦笑いした。
 「さっきは気が立っていたもので、つい大声を出して御 免ね。」
 「男の人って気が立つの。」
 今子ちゃんが頓狂なことを言ったので、一同呆気にとら れてしまった。


 三日後、今度はお婆さんを同伴してやってきた。母親は、 息子に男に戻って欲しい一念で、ワイシャツとネクタイを 持ってきたが、目の前にすっかり女装して、胸の膨らみも 大きく、ウェストも高い位置で細くくびれている様を見て、 深い悲嘆に陥り、涙を流す有り様だった。「馬鹿・馬鹿」 と、口ごもるばかりだった。
 「女がいつもどれだけ悔しい思いしているのか、あんた には解らないの。」
 早田が応える前に、ユリカのパパが質問した。
 「早田さん、いつも奥さんに悔しい思いさせてるんです か? 私は独身だから良く解りませんがね。
 「いやあ、とんでもない、そんな思いをさせたことはあ りませんよ。女一般の意識を言ってるんですよ、家内は。 女であるということだけで、一種の屈辱感を覚えるんです な、私どもの年齢の女はね。その仲間に息子が入ってしま った。それがひどいショックなんですよ。
 たとえ佳織が、フェミニズムの闘士になるとしても認め 難いことですよ。それは二重倒錯というものですよ。男が 女になって、女性解放を叫ぶなんていうのはね。そんなん で有名になられちゃ困るんですよ。孫もマゴつくばかりだ と思いますよ。」
 「男に戻るなんて真っ平だわ!」
 と、早田が言い放った。
 「何て情けないことを、、、」
 母親は又泣きだしてしまった。
 「あまり親不孝をするんじゃない、佳織。いい加減に目 を醒ませ、男が女に成りきれるわけがない。第一、こない だの晩だって、夕食後、皿洗いすらしなかったじゃないか。 料理を作るのも、後始末をするのも、みんなユリカさんが やった、ちゃんと見ていたんだぞ。
 まるでお前はお客さんじゃないか、それよりかもっとお 前に相応しい『ファーターシャフト(父性)』を働きなさい。 お雛様じゃないか、それともどこぞの王宮のお姫様のつも りか、たわけ。厄介なことはみんな女にやらせておいて、 自分は澄まし顔で甘い汁吸って、着飾っているばかりじゃ ないか、本物のマネキンになってしまうぞ。」
 一気に早田の父親が畳みかけた。
 「そんなにママンをいじめないで。お父さんはとても優 しいの、一緒に寝んねしてくれるもの。」
 今子ちゃんが口を挟んだ。その言葉に早田の両親はびっ くりしてしまった。こんな佳織が、子供には愛おしまれて いるということに。早田の我が儘を許しているとは、教育 の仕方が間違えている、そうとしか思えなかった。
 一方、子供の反応とは裏腹に、佳織にはズシンと響くも のがあった。
 両親が肩を落として揃って帰って行った後、自分はこの 先どうなるんだろうと考え倦ねた。自分は確かに、いわゆ る女の仕事はしたことがない。これから先、ユリカと別れ たらどうなってしまうのだろうか、今子をどうやって育て たらいいんだろう、これは大変だと初めて気がついた。
 ユリカに甘え過ぎていたと漸く悟った。我が儘の度が過 ぎていたと、深く反省せざるを得なかった。今までは、我 が儘と言われてきたが、これからは「我が母(わがママ)」 と呼ばれなくてはいけないと思い到った。ユリカとなら、 コムプレックスの傷口を舐め合っていられると思っていた。
 独立できていないということが、その夜から重荷になり だした。自身が内部に育んできた女性性に疑問を抱かざる を得なかった。自分の愉悦のみに浸り過ぎていた、これで は人間失格だ。
 自己中心、他人への異存、万能感、そうだ、これは典型 的なナルシストの姿だと思い当たった。早田は以来、独立 しようと決心した。どこかにマンションを探そうと思い立 った。そしてカレは、その決意をユリカに告げた。
 「そう、遂にこういう日がきたんだわ。アナタ、男に戻 れたのね、心の中は。寂しくなるのね、あたし。あたし、 アナタを引き留め過ぎたわ、自分の女性性を磨くために。
 でも、時々顔を合わせられるくらいの所に住んで欲しい わ。お子さん達やアナタの生長振りが見たいわ。」
 ユリカは涙を流してそう告げた。
 「うん、ボクもそう思ってね、ここから歩いて三分くら いの所にマンションが新築中なの、君も知ってるだろう、 そこを予約しようと思うんだ。2DKなんだ。」
 「あそこか。でもアナタ、お料理を全然知らないでしょ う、ミシンの使い方も、アイロンのかけかたも。あたしが 時々行って教えてあげるわ、それぐらいさせて欲しいわ。」
 「有り難う、ボクも覚束無いから、そうしてくれると助 かる。」
 かくして二日後、早田の両親が若宮家を訪れた時、その まとまった話をした。両親は、それを一歩前進と解釈し、 喜んで帰って行った。
 しかし心配だった。子供を佳織は育てられるのだろうか、 お婆さんがしょっちゅう面倒見に行かねばならないのでは なかろうかと。
 炊事、洗濯、掃除、育児、学問、授業、これらを一手に 引き受けるなど、想像するだけでも不可能だ。そう端から 判っていることを、敢えてやろうというのは、本当の馬鹿 ではないのかと、父親は思った。
 息子は、家庭教師をして稼いでいるが、マンションの家 賃を払うだけでやっとの筈だ、とても生活費までは賄えな いに違いない。俺が送金してやらねばなるまい。
 一層のこと、吾々が息子のマンションの他の部屋に移ろ うかなどと思いを巡らせた。そうすれば、息子も男らしく なるかも知れない。どうせ自分達もマンション住まい、気 分を一新してそうしようと決心した。
 一人息子が性転換の直前まで行ってしまったのだから堪 らない、いくら嘆いても気が晴れない。ここは一つそうし ようと両親は思った。
 次の日、まだ入居者を募集していたそのマンションの、 2LDKの契約をしに行った。幸いまだ一家族分残ってい た。勿論息子には内緒で。
 T大の院生なら、他の私大での時間講師の口もあるが、 佳織のように私大の院生ではそうはいかない。稼ぐのは難 しい。生活苦に喘ぐようでは、学問は身に着かない。
 学問は、早いうちに手を染めなければ発展しない。本を 出版できねば一端の学者にはなれない。今が学問に励む時 なのだ。他の雑事は避けるべきだ。嫁さんがいないのなら、 母親が面倒みなくては、とてもやっていけない。佳織もそ こは解ってくれるだろう。そう、両親は思った。
 一方、早田と、自分に懐いたばかりのその娘を失うユリ カは、とても寂しかった。





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