両性具有文学
・井野博美・

  アンドロギュヌスの肖像U 性的偶像崇拝からの解脱


     第三章  仮面の面影   -1-  過去からの招待状


 若宮ユリカになって早一年が経った。心和む歳月だった。
 九月の中頃、中学時代のクラス会を開くので、参加して 欲しいと、里中玲維宛てに里中家へ往復葉書が届き、そこ から若宮ユリカへと転送されてきた。馬鹿馬鹿しいわと思 っていた、今更、性別変更を知られるのはと。
 するとどうして知ったのか、ユリカ宛てにあの早田から 手紙が届き、是非クラス会で会いたいと書いてきた。考え てみれば、早田の父親も大学教授だ。務めている大学は違 うが、ユリカの父と出身校もクラスも一緒だ。その辺のア ンテナで情報を入手したのだろうか。
 思春期から青春期にかけての一番難しい時期に、ユリカ は彼相手に自分の感性・理性を磨いてきた。忘れられない 人物だ。彼の存在無しには、今のユリカの姿は無いに違い ない。これ程女らしく、いや人間らしく生長することは不 可能だっただろう。そう思うと、彼に彼に会いたいという 衝動に駆られた。それでつい、返信用葉書に、現在の姓名 と住所を記し、出席に印をつけて送った。
 玲維を知っている人々の前で、自らの過去を葬る革命家 のような気分だった。こうして過去は、少しずつ変容され ていくのだと思った。自分の過去は氷のように冷たい石だ が、今は革命家の情熱をもって、その氷を溶かさなくては ならない。それを始めるべき時が訪れたのだ。
 遠い彼方に去った筈の過去が、こうして時空を超えて、 手に取られるのだ。記憶とは何という素晴らしい宝石だろ うか。記憶はこのようにも、時空世界をワープする媒体で ある。
 現在的自由の故郷のもと、過去の存在様式を見つめ直そ う。早田との共時体、レイはユリカへの変身の幾つもの瞬 間を経験した。それらの瞬間を永遠化する多様な試みが想 い出される。
 しかし、それらの時期にあっては、時間は現在でも過去 でもない、未来を夢見る、一種の透明さに憧れる契機だっ た。今、それを現実化したい。そう思って、出席すること にしたのだ。
 その返信を見て、幹事達が驚いたのは言うまでもない。 女躰だとは知っていたが、姓名まで変わっている、珍しい 男だ。婿入りしたのか嫁入りしたのかと、いろいろと取り 沙汰された。
 男のままだったら、女名の「ユリカ」などと改名する筈 はない。それに職業もモデルとなっている。これは女にな ったに相違ない。まず、担任の先生が好奇心丸出しになっ た。是非正面から検分したい。
 十月初めの土曜日の夕方だった。二十二人と、クラス会 としてはたくさん集まった。ユリカはすっかり盛装して、 パリのブティックで買った銀豹のミニのワンピースで、ミ ラーサングラスをかけて出かけた。さすがに素顔で出席す るのは気が退け、上品にお化粧していた。
 原宿駅近くの、同窓会専門みたいな、「ヒステリシス・ シンクロナス」(履歴現象)という名の宴会場の一室を借 りて、催し物が始まった。その前、又嫌な自己紹介をさせ られると思い、何と言ったらいいものかしらと、ユリカは ロビーのソファーに身を沈めて黙想していた。
 そのユリカに誰も気付かず、前を素通りして行く。先生 も行った。早田が女っぽいスタイルで通った。みんな来たの か、暫く誰も通らないうちに、定刻になったので、ユリカ も部屋に入った。
 幹事は来た順に席のチケットを渡していたが、ユリカを 誰だか見抜けないその人が、不審気な目でチケットを渡す べきかどうか逡巡している手先から、ユリカはスルリと摘 み取った。
 幹事は、その券はユリカに残しておいた特別品だった。 先生の正面の席だった。ユリカはサングラスを外した。仮 面が剥落した。ユリカははにかんで俯いた。碧眼は里中玲 維しかいないので、全員の目がそれを確かめようとユリカ に集中した。先生ははユリカの正面だったので、良く見え た。
 乾杯になって、ユリカが顔を上げた。仔細に見ると、昔 の里中玲維の容貌が偲ばれる。しかし、高い位置でくびれ たウェスト、細っそりしなやかに伸びた手足、中庸な胸の 膨らみ、それらは中学時代の姿からは想像もつかない変わ り様だった。
 何と声を掛けたものかと先生は思った。その先生は五十 を少し過ぎた年配だったが、受け持った生徒のうちに、こ んなに変わった人物はいない。日本人としては彫りの深い 目鼻立ち、少々上向き加減の鼻先、それらは中学を卒業す る頃には完成されていたので、出席者にも肯けた。
 しかし、二色の髪の毛は独特なもので、みんな覚えて いるが、昔は男刈りにカットしていたので、今日のように、 肩まで垂れているのと較べると、別人のように見える。男 だったという痕跡は何一つない。
 今こうして眺める彼女の姿は、官能的にも充溢した女と いうイメージに輝いている、美貌の、うっとりさせられる 女だった。何を思ったのか先生は、まず自分から挨拶する 筈だった順を、ユリカに渡した。衆人の注目を浴びて、ユ リカは立ち上がった。
 「ワタシ、若宮ユリカと申します、昔は里中玲維でした。 こうしてあれから六百万年後に、この大宇宙の仲良し座で お会い出来たことを嬉しく思います。」
 みんなが笑った。
 「去年の九月の初め、ヨーロッパから帰国後、若宮家の 養女になりました。性別も名前もその時に変わりました。結 婚したわけではありあません。パパは独身です。
 昔はベルバラのオスカルのような気分でしたが、今は普 通の女です。」
 「貴女の絵、『美術の華』っていう本で見たことあるわ。」 一人の女性が口を挟んだ。
 「ハイ、パパの絵のモデルをしています。パパは具象画 の画家です。今は心浮き浮きとフラッシュを浴びていられ ます。」
 するとすかさず、写真係がユリカに向けてカメラのフラ ッシュを焚いたので、再びみんなが笑った。
 「なかなかの美人だ、昔は非有機的な儚い美少年だった が。」
 先生がそう言った。
 「儚い美少年は、ワタシの心の重荷です、今でも。こう して悪夢の古里に戻ってみると、意外と心が清々しいのが 不思議です。でも、ワタシをオトコとしてしか知らない皆 さんの中に入るには、こんな、他人の視線の透過を許さな いミラーサングラスが必要でした。皆さんの前に初めて女 として立つに際して。
 でも、これももう要らないようです。皆さんの好奇な視 線にも平穏さを保っていられます。このような経験も積ん できたように思います。」
 「ホー、全く変わってしまった、夢を見ているようだ、 しかし幻ではない。」
 「昔が幻だったのです。」
 ユリカが先生に応え、席に座った。何か披露宴に出るか のような気分かしらと思った。
 「ワタシの披露宴ではありませんので、皆さんも話して 下さい。」
 ソプラノでしんみりとユリカが言うと、みんなが笑った。 皆に注目されてユリカは、哀れみの眼差しの押し売りをさ れているようだわと感じ、俯いた。
 二十五にもなると、女の子達はもう結婚して子供が二人 もいるのとか、婚約しているのだとか、色めいた華やいだ 話が多かった。O L も卒業だとか言っていた。そういう性 の範疇から外れているユリカは、心寂しかった。
 最後に早田が立った。
 「僕、離婚しました、二週間前に。子供は一人いますが、 母親の籍に入っています。独り者になりました。男として は、結婚するのが早過ぎたようです。四ヶ月前、彼女は子 供を連れて実家に帰ってしまいました。離婚料と子供の養 育費を合わせて五千万要求され、結局三百万円支払って、 裁判所で決着したばかりです。
 結婚は人生の墓場だという格言が、身に浸みて分かりま した。お嬢さん方、気をつけた方がいいですよ、慌てて結 婚するとろくなことはありませんよ。」
 「それはあんたがだらしないからよ、昔からあんたは 意気地のない坊やだったわ。」
 と、一人の既婚女性が口火を切ると、次々と早田を論難 するので、彼は呆然として席に腰を下ろした。
 「ウーン、早田、お前がこのクラスで一番初めに挙式し たんだぞ。俺も来賓として出席したのは、昨日のことのよ うに覚えているぞ。あの時は本当びっくりした。お前が先 端を切って式をあげるとは、お前が中学生の頃は思いもか けなかったからな。
 離婚するのも一番最初だとはな、少しは意気地が出てき たか、女房の尻に敷かれまいとな。」
 「いえ、先生、早田君は奥さんに見限られたに決まって いますわ。」
 と、別の女性も調子を合わせる。
 「さもありなむ。これからはしっかりと人生の勉強に励 め。」
 先生が口を濁した。数人の女性が早田の悪口を付け足すので、  「そんなに彼をいじめないで下さい。」
 と、ユリカが堪りかねて助け舟を出した。
 「昔から若宮さん、早田君を庇っていたわ、覚えている わよ、みんな。」
 「母性本能を持っていましたね、昔から若宮さんは。」
 と、先生が指摘した。
 「そうですわ、それにつけ込んであんたは甘えていたの よ、昔も今も、甘えん坊よ。離婚料だって、親に出して貰 ったんでしょう。」
 と、女性の早田いじめは収まらない。
 「欠席裁判でさんざんこき下ろされる奴はいるが、本人 を目の前にしてのこんな悪口雑言をぶつけられたのは、早 田、お前が初めてだ。」
 遂に先生まで女性達に調子を合わせてしまった。
 「言いたい放題言って下さい、言えるうちが華ですよ、 お嬢さん方。貴女だって、貴女だって、いつ夫に見捨てら れる日がくるか分からないんですよ、その時はうんとこき 下ろしてあげますからね。」
 早田は開き直って、女性達を一人ずつ指差してそう言い 放った。
 「早田、よく言った。少しは意気地が出てきたようだな。 皆も気をつけろ、結婚相手にはな。」
 先生が漸く話を収めた。
 早田がこんな風に言える男になっていとは、ユリカは思 ってもいなかったので、びっくりした。みんなも黙ってし まった。
 三月三十日生まれの彼が、クラスで一番早く、二十一歳 で結婚式を挙げた頃まで、彼は極めて内気で、女装趣味の ある美男子だったが、相手の女に口説き落とされて結婚し た経緯を知っているユリカにとって、この変貌振りは意外 だった。
 女は男次第だとよく言われるが、早田の場合は逆だった ようだ。女にいいように手玉に取られた挙げ句の果てに、 見限られてしまったのだろう。
 彼は一人息子だったが、彼女の注文通り、両親と別居す ることを受け容れた。その希望は彼の方にもあった。何し ろ彼は、嫁を貰うなどという意識はまるで持っていなかっ た。その反対だった。
 女装趣味を受け容れて育んでくれる彼女に、本心では、 自分の方から嫁入りする気分だったのだから。そんなてい たらくを両親に知られたくなかった。そんな彼の告白を、 結婚前にユリカは聞かされたことがある。相手の女は男装 癖があると言っていた。
 そんなカップルにどうして心の亀裂が走ったのか、まだ 分からないが、今夜にでもその辺に探りを入れてみようと、 ユリカは思った。
 ユリカの性別変更披露パーティーになった今日のクラス 会の一次会は、定刻通り七時半で終わった。早田はこんな に面白くない連中とは一緒にいたくないというので、ユリ カもそう思ったので、二人だけで別の喫茶店に行った。
 しかしそこで、早田の思ってもみなかった怪異な性変容 貌振りを知らされるとは、唯一の友人であるユリカにとっ ても、夢にも思っていないことだった。
 時間が化けて、早田を呪ったかの観がある。





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 4章 ∴





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